甲田 |
2014年08月16日 |
長篠合戦余話によると、設楽原合戦で武田方の敗色が濃くなり、側近や馬場信房らに退却を勧められ、とうとう武田勝頼も退却を決意し、武田家重代の諏訪法性の甲を脱いで初鹿野伝右衛門に持たせた。伝右衛門は敵の追撃を食い止めながら退いたが、暑い日だったので疲れてしまい誤って甲を田圃に落としてしまった。これを見ていた小山田弥助は御家重代の甲でありもったいないと言ってこれを拾って持ち帰った。このことから甲田の地名がおこったとのことです。また別の記録では甲を落としたのではなく捨てたとの説もあるそうです。 こ
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2006年05月05日 |
長篠合戦余話によると、設楽原合戦で武田方の敗色が濃くなり、側近や馬場信房らに退却を勧められ、とうとう武田勝頼も退却を決意し、武田家重代の諏訪法性の甲を脱いで初鹿野伝右衛門に持たせた。伝右衛門は敵の追撃を食い止めながら退いたが、暑い日だったので疲れてしまい誤って甲を田圃に落としてしまった。これを見ていた小山田弥助は御家重代の甲でありもったいないと言ってこれを拾って持ち帰った。このことから甲田の地名がおこったとのことです。また別の記録では甲を落としたのではなく捨てたとの説もあるそうです。 こ |
東郷東小学校から清井田に向って行き、五反田川を渡る前に左に曲がるとあります。 ちなみに甲田の読み方は、現地の看板によれば「こうでん」でしたが、長篠合戦余話によれば「かぶとだ」でした。
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