九ツ塚跡 |
2016年12月18日 |
九ツ塚は、瀬沢合戦の戦死者を葬ったものと伝えられる。瀬沢合戦とは『甲陽軍鑑』によれば、およそ次のような合戦のことである。 |
2007年04月15日 |
横吹新田耕地の民家の西近傍にある。天文年中に武田が、諏訪・小笠原・木曽の連合軍と戦った時、戦死者の死骸を埋めた墳墓だといわれている。この塚は数が9つあったが、今なお6つが残っている。3つは武智川が洪水の時に流出してしまった。 瀬沢合戦に数多の戦死者が出たので、大きな穴を9つ掘って、この中に屍を埋め塚を造ったので、9つ塚の名が起きた。しかしながら武智川の大洪水のために流出して、一塚だけが残存している。塚の上には自然石に梵字を刻した石碑がたっている。その近傍に宝篋印塔が1基ある。古老によれば「100年くらい前までは、甲斐より我が祖先が戦死したのを埋めた墓だといって墓参していた。今は疣(イボ)神様」といって、この中の水を疣につければ忽ち全快する」といって来る者が多いという。 九ツ塚は瀬沢古戦場の近くであろうと思って目的地を瀬沢古戦場にして現地に向いました。国道20号線を富士見町から信濃境方面に進むと途中で大きく曲がりながら下って行くところがありますがそこが瀬沢古戦場です。その少し手前から右側に入っていってしらかば園を通り過ぎたあたりで地元の人に九ツ塚について聞いてみました。最初に聞いた方はよく分からずその人から別の人を紹介してもらいました。彼の話によれば九ツ塚というのはもともとしらかば園の中にあったものを移設したとのことでした。横吹方面に行けば見つけることができるとのことで行き方も教えてくれました。
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