清見寺 |
2014年12月07日 |
寺の付近の地勢は山、海に迫り、自然に要害をなすを以って古来より戦乱の場合争奪の巷と化する例でありました。永禄11年武田氏駿河乱入の際、又天正10年徳川家康甲州攻め入りの時など、何れも当寺に軍を拠らしめましたので、甚大なる戦禍を蒙ったのであります。又豊臣秀吉も天正18年北条氏攻伐の際、当寺に一時本営を置いて全軍の指揮を執り、又梵鐘を徴用し陣用に供したのであります。 |
仏殿
天保年間の改築にして、重層入母屋造り。屋根は瓦葺にして、床面は瓦敷なり。正面には釈尊、釈迦、阿難の三尊を奉安し、背後に三開山の木像及び、其の傍に足利尊氏の木像を安置してあります。 |
鐘楼
徳川家康公手習之間遺構
家康公嘗て今川氏の人質として駿河にありし頃なり、本堂は後年改築を経たるも柱、欄間、床、違棚等は当時のもの。
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1984年03月28日 |
寺の付近の地勢は山、海に迫り、自然に要害をなすを以って古来より戦乱の場合争奪の巷と化する例でありました。永禄11年武田氏駿河乱入の際、又天正10年徳川家康甲州攻め入りの時など、何れも当寺に軍を拠らしめましたので、甚大なる戦禍を蒙ったのであります。又豊臣秀吉も天正18年北条氏攻伐の際、当寺に一時本営を置いて全軍の指揮を執り、又梵鐘を徴用し陣用に供したのであります。 |