久能山城 |
2014年12月21日 |
久能山頂からは駿河湾一帯を一望でき、遠く伊豆西海岸をも望むことのできる景勝地である。永禄11(1568)年12月、駿河の国主今川氏真を破り、その領国を占領した甲斐の武田信玄は、いち早く久能山の地に着目、山頂にあった補陀落山久能寺を有渡郡北矢部(清水市)に移し、その跡地を城郭に改造、駿河湾一帯を押さえる要地として、伊豆に本拠地を置く北条水軍の監視にあたった。 |
勘介井戸
石垣
久能山城からの駿河湾
一の門
元和3年の建立といわれ当初は櫓門であったが明治17年9月に暴風で倒壊し後に平門に改め現在に至っている。古くは久能山の総門であった。 |
門衛所
江戸時代久能山の門を守る与力がいた番所で、ここで登拝者を制限した。今回老朽化のため復元解体修理を施し保存したもので、この種の建物は全国でも少なく貴重なものである。 |
楼門
拝殿
拝殿
拝殿
2001年10月08日 久能山には16時30近くになって到着。麓の案内板にはニの門が閉まるのが16時と書いてあり既に時間オーバー。ちょうど階段を下りてきたおっちゃん連中に聞いてみましたが二の門がどれなのかは不明でしたが、とりあえず千段の階段を登ることにしました。 |
永禄11年12月武田信玄は当山が要害の地であることを知って寺院を清水北矢部に移し城砦を築いて久能山城と称した。天正10年武田氏が滅亡したので徳川の有となった。山上の勘介井戸、愛宕の曲輪等は当時を物語るものである。 |
勘介井戸
この井戸は、戦国時代に山本勘介が掘ったといわれ今から約400年前の久能山城を語る貴重な文化財である。深さ33m石垣積で今回蓋を作り保存につとめると共に照明装置を施し、内部がよく見られるようにした。 |
門衛所
江戸時代久能山の門を守る与力がいた番所で、ここで登拝者を制限した。今回老朽化のため復元解体修理を施し保存したもので、この種の建物は全国でも少なく貴重なものである。 |
一の門
元和3年の建立といわれ当初は櫓門であったが明治17年9月に暴風で倒壊し後に平門に改め現在に至っている。古くは久能山の総門であった。 |
階段を登る前は千段という段数に登ることを躊躇してしまいましたが登ってみたらそんなにたいしたことはありませんでした。皆さんもロープウェイではなく階段を登りましょう。
|