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山梨県甲府市

華光院

2013年09月01日

 
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真言宗京都智積院の末寺で、真如山華光院良林寺といい、荒神堂の別当寺です。由緒によると本尊は弘法大師作と伝える三宝荒神で、大永年中(1521〜28)に武田信虎が荒神堂を建て、堂守に山伏を置いたのがはじまりといわれています。その後、信玄が現在地へ移し荒神堂と別当寺を建て、紀州の根来寺の弘尊法印を別当寺住職にして、寺を真如山華光院良林寺と名づけ、祈願所としたといいます。
有名な太子堂は聖徳太子の像を祀ったもので、これは柳沢吉里が大和郡山に転封となったとき、甲府城内より移したものです。
この寺では、現在でも山伏による火渡りなどが行われ、古い伝統を伝えています。
(看板資料より)

 



2005年01月09日

真言宗京都智積院の末寺で、真如山華光院良林寺といい、荒神堂の別当寺です。由緒によると本尊は弘法大師作と伝える三宝荒神で、大永年中(1521〜28)に武田信虎が荒神堂を建て、堂守に山伏を置いたのがはじまりといわれています。その後、信玄が現在地へ移し荒神堂と別当寺を建て、紀州の根来寺の弘尊法印を別当寺住職にして、寺を真如山華光院良林寺と名づけ、祈願所としたといいます。
有名な太子堂は聖徳太子の像を祀ったもので、これは柳沢吉里が大和郡山に転封となったとき、甲府城内より移したものです。
この寺では、現在でも山伏による火渡りなどが行われ、古い伝統を伝えています。
(看板資料より)


堂歴
本毘沙門堂ハ方九尺ニシテ立像アリ本城(甲府城)内ニアリテ松平甲斐守ノ崇信厚ク得替ノ時当寺ニ贈レリ(甲斐国志ヨリ)
柳沢甲斐守吉里享保9年3月11日、大和国郡山へ所替す当柳沢甲斐守直筆の棟札が保存してあります。
(木板記載文章より)

 

 
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