勝山城 |
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東照権現
谷村城の要害城(非常の場合たてこもる城)として築城されたこの勝山城址には、現在なお、曲輪・堀・石垣・土塁など、多くの遺構が認められる。曲輪は山頂の平坦地(本丸跡)を中心にして、北・東・南の三方に分かれた尾根のそれぞれに配置されている。北側の尾根には、花崗岩の大石が7個残された平坦地が認められるが、ここは秋元氏の時代に幕府献上用の茶の貯蔵所(お茶壷蔵)があったと伝えられている。東側の尾根には、やはり、秋元氏の時代に焔硝蔵が置かれていたといわれている。 |
本丸
勝山城は文禄3(1593)年に浅野左衛門佐氏重によって築城されたと「甲斐国志」に記されている。当時、甲斐国には、江戸の徳川家康に対する備えとして豊臣秀吉の一族浅野長政が配されていたが、浅野左衛門佐氏重は浅野長政の家老として、甲府城の前城となる勝山城を築城し、郡内地域の守りに当ったという。 |
二の丸
三の丸
帯郭
焔硝蔵跡
本丸下の石垣
竪堀
大沢見張台
川棚見張台
空掘
2004年12月26日 |
谷村町駅から見た勝山城
谷村城の要害城(非常の場合たてこもる城)として築城されたこの勝山城址には、現在なお、曲輪・堀・石垣・土塁など、多くの遺構が認められる。曲輪は山頂の平坦地(本丸跡)を中心にして、北・東・南の三方に分かれた尾根のそれぞれに配置されている。北側の尾根には、花崗岩の大石が7個残された平坦地が認められるが、ここは秋元氏の時代に幕府献上用の茶の貯蔵所(お茶壷蔵)があったと伝えられている。東側の尾根には、やはり、秋元氏の時代に焔硝蔵が置かれていたといわれている。 |
本丸と東照大権現
勝山城は文禄3(1593)年に浅野左衛門佐氏重によって築城されたと「甲斐国志」に記されている。当時、甲斐国には、江戸の徳川家康に対する備えとして豊臣秀吉の一族浅野長政が配されていたが、浅野左衛門佐氏重は浅野長政の家老として、甲府城の前城となる勝山城を築城し、郡内地域の守りに当ったという。 |
勝山城は地図で見ると谷村町駅と都留市役所のすぐそばに位置しており、どんなところなのか楽しみにしていましたが、登ってみると鉄道との間には桂川の深い断崖が介しており謎が解けました。桂川が天然の堀になっているのです。私は南側から上りましたが他に登り口があるのかどうかは不明です。谷村町駅方面からだと看板もあるので上り口には行かれると思います。トイレもあるし車も2、3台止められる場所があります。城跡は木がきれいに切られていてはげ山のようになっているので山の地形や周りの景色を楽しむことができます。
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