笠井肥後守満秀の墓 |
2014年08月15日 |
勝頼はせきたてられて第一線から離脱して橋詰まで来たが、疲れた馬は動かない。追手は迫ってくる。このとき旗本の中でも剛の者笠井肥後守満秀は自分の馬をすすめたが、勝頼は乗ろうとしない。追撃は急である。寸刻を惜しみ主君を無理やり己が馬に押し上げると一鞭。勝頼が川を渡るのを見届けるや、追いすがる敵勢に向かって大音声、「我こそは、元弘建武の昔、南朝の忠臣新田の朝臣義貞公に代って、摂津国阿倍野で名誉の戦死を遂げたる山田太郎高家の十二代の後胤、笠井肥後守満秀なり」と名乗り、敵中に踊り込み、出沢の郷士滝川源右衛門助義と一騎打ちとなり、遂にたおれたという。
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2012年05月04日 |
勝頼はせきたてられて第一線から離脱して橋詰まで来たが、疲れた馬は動かない。追手は迫ってくる。このとき旗本の中でも剛の者笠井肥後守満秀は自分の馬をすすめたが、勝頼は乗ろうとしない。追撃は急である。寸刻を惜しみ主君を無理やり己が馬に押し上げると一鞭。勝頼が川を渡るのを見届けるや、追いすがる敵勢に向かって大音声、「我こそは、元弘建武の昔、南朝の忠臣新田の朝臣義貞公に代って、摂津国阿倍野で名誉の戦死を遂げたる山田太郎高家の十二代の後胤、笠井肥後守満秀なり」と名乗り、敵中に踊り込み、出沢の郷士滝川源右衛門助義と一騎打ちとなり、遂にたおれたという。 |