銀山城(武田山) |
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銀山城(武田山山頂)からの眺め
鎌倉時代初期、旧祗園町一帯には、安芸国内から選ばれてくる物資の保管倉庫(倉敷地)が集中していました。また、この地域は、古市、今津などの市場や、港町で賑わい、安芸国の政治、経済、交通の大変重要な場所を占めていました。 標高250m以上は「広島県史跡」に指定されています。ここにある城址は今から約700年余前、承久の乱の戦功により安芸国の守護に任命された武田信光の4代後裔武田信宗が築いた遺跡で、その名を銀山城(金山城とも書く)といいました。信宗は甲斐国に住み、城番を置いて安芸国を支配しておりましたが、武田氏信にいたって初めて武田氏は甲斐から安芸国に下って来ました。 |
馬返し
ここから先は城内への通路が馬を使えないくらいに急に険しくなっているので、この地を「馬返し」と呼んだと思われます。またここは、城全体から見ると南東方面の端部に位置し、大手道の防備の役目を狙っていたものと思われます。 |
御門跡
ここは銀山城の南麓の出入り口にあたり、城内への門があったと伝えられるところです。かつては道路を直角にとる鍵の手に石積みがあったと思われ、この石積みで囲まれた部分は近世の城郭で桝形とよばれる防御施設にあたり、その原形として注目される遺構です。 |
城跡(千畳敷)
館跡
観音堂跡
ここは、城跡の中心部から西南方向に少し離れた所に位置する郭群のひとつです。観音堂が建っていたと伝えられるところからこう呼ばれていますが、本来は郭として城の搦手の防御の役目を担っていたものと思われます。 |
馬場跡
広島に来て一番最初に武田山に登ることに決めていました。天気が良かったのと、一番元気なうちに登っておきたかったのです。
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