実相寺 |
2017年04月08日 |
山高神代桜
信玄公祭りに行く前に朝一番で立ち寄りました。
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2013年10月13日 |
寺記によると、日蓮を身延山に招いた波木井六郎実長の4代あとの伊豆守実氏が、身延山第5世鏡円阿闍梨日台上人の弟子となり、実相院日応と名乗った。この日応上人が永和元(1375)年、同村大津にあった真言宗の寺を訪れ、住んでいた真理法院と法義を論じ合い、論破して寺を譲り受けた。この時日蓮宗に改宗して大津山実相寺と称した。 |
山高神代ザクラ
伝説によれば日本武尊が御東征(本州東部地方への遠征)の帰り道、この地を訪れ、記念にこのサクラを手植えされたといわれる。また、その後日蓮上人がこの地を訪れ、このサクラが衰弱しているのを見て、樹勢の回復を祈られたところ、そのかいあって再び繁茂したと伝えられるため、別名を「妙法ザクラ」ともいう。 |
2008年04月05日 |
実相寺の山高神代桜
今回は信玄公祭りを見に行きました。せっかく山梨まで行くのであれば、ちょうど桜の季節なので武川(現在北杜市)実相寺の山高神代桜を見ることにしました。事前に実相寺のサイトで調査しておきました。北側はまだ2〜3分咲きだが南側はほぼ満開とのことでした。車中泊していたので現地に到着したのは6時半ころでしたが既に大勢の人たちが来ていました。駐車場は有料とのことでしたがまだ時間が早かったせいか無料でした。天気は晴天で空は真っ青、実相寺の奥には雪を頂いた甲斐駒ケ岳などの南アルプスもきれいに見えることができ、空、山、雪、桜の見事なコントラストでした。 |
神代桜と鳳凰三山
神代桜と甲斐駒ケ岳
2004年04月24日 |
永禄4年の第4次川中島の合戦の際、武田信玄は実相寺に戦勝祈願を行っているという。 |
実相寺の梵鐘
実相寺は永和年中、波木伊豆守が出家し、実相院日応と号して宗を改め開いた日蓮宗の寺である。この梵鐘は総高145センチ、鐘身105センチ、口径79センチで池の間の刻銘によれば承応4乙未(1655)年7月16日当山第11世住持比丘日念の代に壇主・山高荘右衛門尉信之が大祈願を発し、多くの人々の力によって造られて寄進されたもので、技法的にも江戸初期の特色をよく伝えている。 |
山高神代ザクラ
伝説によれば日本武尊が御東征(本州東部地方への遠征)の帰り道、この地を訪れ、記念にこのサクラを手植えされたといわれる。また、その後日蓮上人がこの地を訪れ、このサクラが衰弱しているのを見て、樹勢の回復を祈られたところ、そのかいあって再び繁茂したと伝えられるため、別名を「妙法ザクラ」ともいう。
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