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山梨県北杜市

高竜寺

2013年10月13日

山高氏代々の墓

甲斐源氏一条忠頼の死後、甥の武田信長が一条氏を継ぎ、その孫時信が子供達を武川筋に封じた。時信の孫信方が山高に封じられ始めて山高氏を称した。山高氏は天文元(1532)年、信之の代に高竜寺を開基して菩提寺と定め、山高氏代々の墓所としたものである。
右側が山高信之(開基)、左側が山高信保(中興開基)である。この他五輪塔と、宝篋印塔も山高氏一族のもので、よく建造当初の形式を伝えている。
(看板資料より)

 



2007年11月18日

今回朝一番に立ち寄ったのがこの高竜寺でした。神代桜で有名な実相寺からもう少し先に入っていったところにあります。お寺の入り口にあった門の横に車を止めて、そこから歩いて行きました。門のところには「お寺の駐車場はこの先にある」と書かれていましたがここから歩いていくことにしたのです。今朝は寒かったので畑のものが白くなっていました。本堂に到着して山高氏の墓所を探しました。まだ早い時間だったのでお寺の人には声をかけずに墓域の方に入っていきましたがすぐに看板を発見することができました。


山高氏代々の墓

甲斐源氏一条忠頼の死後、甥の武田信長が一条氏を継ぎ、その孫時信が子供達を武川筋に封じた。時信の孫信方が山高に封じられ始めて山高氏を称した。山高氏は天文元(1532)年、信之の代に高竜寺を開基して菩提寺と定め、山高氏代々の墓所としたものである。
右側が山高信之(開基)、左側が山高信保(中興開基)である。この他五輪塔と、宝篋印塔も山高氏一族のもので、よく建造当初の形式を伝えている。
(看板資料より)

 

 
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