板垣駿河守信方屋敷跡 |
2007年10月28日 |
武田氏の譜代家老で、両職という最高職に就任していた重臣。板垣氏は甲斐源氏の支流にあたり、武田氏を支えて活躍した。天文9(1540)年4月、信方は信濃佐久郡侵攻を信虎に命じられ、臼田・入沢城など数十城を攻略した。天文10(1541)年の武田信虎追放の際には、信玄を支えて中心的役割を果たしたと伝わる。信玄が同11(1542)年に諏訪頼重を滅ぼすと、諏訪郡代に任命され、上原城代(諏訪市)に就任した。その後、信玄の信濃経略では、主導的地位を占め、また駿河国今川義元・相模国北条氏康との三国同盟交渉でも活躍している。天文17(1548)年、信玄が村上義清と戦い、初めての敗戦を喫した上田原の合戦で戦死した。 |
板垣駿河守信方
(?〜天文17年2月14日) |
→伝板垣駿河守信方の墓 |