医王寺 |
2014年08月15日 |
医王寺と武田勝頼本陣跡 |
弥陀ヶ池
長篠・設楽原合戦で長篠城を包囲していた武田勝頼が本陣を設楽原に進めようとした時に、弥陀ヶ池に茂っているアシの葉を勝頼(勝頼の家臣との説もあるとのこと)が切り落してしまい、それ以来この弥陀ヶ池のアシは片葉になってしまったとのことです。その後次第に物語が脚色され次のような物語が残っているそうです。 |
医王寺山武田勝頼本陣跡
この医王寺山は、天正3(1575)年武田勝頼が長篠城攻略に際し、陣城として使った跡といわれ、広島市立図書館、浅野文庫所蔵の諸国古城図のうち「勝頼陣城」として描かれた絵図と同様な平坦地(曲輪)が今に残っています。
|
2006年05月06日 |
早朝に訪れたにもかかわらず、お寺の修行僧が快く出迎えてくれた。本曲輪にある物見櫓には以前にも行ったことがあるのですが以前行ったときとは逆周りで行けば近道のような気がしたのでお寺の方に行き方を教えてもらって物見櫓に向いました。本曲輪から下りてきてから医王寺の中になる資料館を見学させてもらいました。 |
医王寺と武田勝頼本陣跡 |
弥陀ヶ池
長篠合戦余話によれば、片葉のアシの話について次のように記されています。
|
1999年11月23日 奥平貞昌500名の守る長篠城を15000人の武田勢が包囲して攻撃したときの勝頼の本陣がおかれたところがこの医王寺である。寺の右横から「史跡コース」があったので登ってみたが、医王寺の裏の小高い山の上に物見櫓があった。ここからは長篠城の様子や見方の陣地も一望できたそうだ。 |
医王寺裏山の物見櫓
医王寺物見櫓から長篠城方面を見る