永禄12(1569)年長岳山金剛寺、大宮山満光寺、今宮観音堂、橋立観音、八大権現社、弁天堂を統括して長岳山今宮坊を称す。長岳山は武甲山を指すものか。
49寺を配下に擁し、本山派修験聖護院末26寺の1寺となり、諸国先達29寺の1寺となる。秩父今宮坊の黄金時代。小田原の北条早雲・氏康と強力な関係を結んでいたと推断される。
この年、甲州の武田信玄、小田原の北条氏康が上杉謙信と結んだのを怒り、北条領の秩父に攻め入り、人家社寺を焼き払う。今宮坊、秩父神社、椋神社、武甲山(神社)、御嶽神社等、ことごとく焼失。武田勢は「また近いうちに建て直して進ぜる」と云いながら火を点けて駆けまわったと伝えられる。秩父の「お田植え神事」はこの年まで椋神社が執行していたが、武田軍侵攻で大打撃を受け、秩父神社にこの神事をゆだねる。
(秩父今宮神社一八〇〇年史より抜粋) |