古戦場 一ノ瀬の戦い
今からおよそ400年の昔、東海一の武将と言われた徳川家康は、天正2(1574)年4月6日浜松城を出馬して、武田信玄の属将で犬居城主の天野宮内右衛門景貫を攻めるため犬居城へ向った。時は五月雨の季節で、豪雨が続き、家康は気田川の東岸の瑞雲寺に陣を取ったが、渡河して犬居城へ攻め入ることができず、そのうえ少ない食料も尽きてきた。やむをえず退陣し、他日再び攻めることとして兵を引き返そうとしたところへ、天野方の兵が家康軍を追撃してきた。
この時、家康の家臣大久保忠世・水野忠重は一番後の軍勢を率いて戦ったが、山は高く、谷は深く、不案内の地で苦戦した。
なお、それに田能・大久保の郷民が天野方に加勢して追い討ちをかけたので、この辺において多くの士卒が討死した。家康方の、堀平十郎・堀小太郎・小原金内・玉井善太郎・鵜殿藤五郎・大久保勘七郎等の将士は、この追撃してくる敵を迎え討って戦ったが、矢玉にあたり一ノ瀬において落命した。
即ちこの地、一ノ瀬は古戦場であり、徳川家康の敗戦の地である。それ故この周辺には今もゆかりの「七人塚」「鵜殿渕」等がある。
(看板資料より)
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