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市川三郷町

市川団十郎発祥の地

2007年11月17日

市川三郷町歌舞伎文化公園の中に、市川団十郎発祥の地というものがありました。説明板の文章を読んでいたら、ちょうど奥の民族資料館から出てきた文化館説明員の方が声をかけてくれて丁寧に説明してくれました。

抑々、我が市川家発祥の地は何処なるや、探し求めて長きに亘る。時至り昭和7年、市川三升十代団十郎来甲の砌、石原家に三百有余年秘蔵せし古文書並に系図一巻閲覧。書中に曰く、堀越十郎家宣、元武田家に仕え後下総国幡谷に移る。其の孫堀越重蔵江戸に出づ。其の一子即ち初代市川団十郎也云々と。三升驚喜し、直ちに銅像建立を思い立ちしが果さず、父11代団十郎志を承け、此地に木標を立つも既に朽つ。不肖此の処に佇み祖父の意思を憶い、一碑の建立を発願するに、幸いなるかな普く甲州有志の賛同を得、今茲に、市川団十郎家発祥の顕彰碑の成就を見る。歓喜無量感悦天翔る如し。此の挙に惜しみなき芳庇を賜りし後援各位の御恩顧、家一家一門子々孫々まで、永劫忘れまじきもの也
(石碑記載文章より)

歌舞伎文化公園の由来
歌舞伎文化公園は江戸歌舞伎の盟主、初代市川団十郎の曽祖父に当たる堀越十郎が甲斐武田氏の武将、一条信龍に仕えていた、という史実に基づいて建設されました。
10代市川海老蔵丈が「10代、11代団十郎は市川家(本姓・堀越家)祖先の地を顕彰したい、と願っていたが果せなかった。私の12代団十郎襲名を機会に実現したい」と山梨県、三珠町、山梨日日新聞社、山梨放送に要請しました。
これを受けて市川団十郎顕彰会が碑を建立したものです。碑はアフリカ御影石を使い高さ2メートル、幅95センチ、奥行き80センチ。上部に市川家の紋、甲州ゆかりの三枡をデザインし、題字は歌舞伎文字ともいわれる勘亭流です。碑の右側面には鳥居清倍筆による初代団十郎の役者絵「竹抜き五郎」が浮き彫りされています。
(看板資料より)

 

 
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