一条塁跡 |
2007年11月17日 |
武田信玄は始祖武田信義の嫡男、一条次郎忠頼に始まる一条家の名跡の絶えているのを惜しみ、異母弟一条右衛門太夫信竜をたてて家跡を継がせた。信竜は、ここ上野の地に塁城を築き、その子上野介信就と共に、二百騎を率いて、武田家滅亡(天正10年3月)まで甲南の守りを固めていた。塁跡は蹴裂神社となっている。 当所は一城氏城塁跡とも呼ばれ、武田信虎の第8男一条右衛門太夫信竜(信玄公の異母弟)の城塁の本丸にして天正10(1582)年3月徳川軍の乱入に備えて信竜とその子上野介信就は駿河路からの進入路に当たる当上野の城塁を死守したが力及ばず捕らえられて討たれた由緒ある所である。 |
市川三郷町歌舞伎文化公園に到着すると、すぐに大きな天守閣に気付くと思います。天守閣の中に入って受付のところで一条氏塁跡の場所を聞いたら奥にある木が生えている神社のところであると教えてくれました。天守閣の建物には特に関連した展示などは無いとのことでしたのでここには入館せず、一条氏塁跡の方に行ってみました。反対側に鳥居があって、中に入って行くと正面に本堂があり、左側に石碑がありました。石碑の裏に回り込んでみると説明文が彫ってありました。 市川三郷町歌舞伎文化公園由緒
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