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山梨県南アルプス市

法善寺

2013年12月22日

史跡加賀美遠光公館跡
甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の曾孫加賀美遠光公はこの地に館を構え、遠く京都にまでその名を知られた鎌倉時代の名将である。高倉天皇御病の折、遠光公は文武両道の達人として勅命により宮中に召され、源家伝来の「鳴弦の術」によって直ちに病魔を退散せしめ、数々の恩賞を賜ったと伝えられる。
鎌倉幕府創立に際しては甲斐源氏一族と共に源頼朝を援助し、その功績により源氏六人受領の一人として信濃守に任ぜられている。遠光公は武人としてのみならず古来からの典礼故事の学にも詳しく、その後の武家の儀式礼法の大綱を定めている。今に伝わる小笠原流礼法はその流れを汲むもののひとつである。
(看板資料より)

庫裡・寺務所

不動明王殿

不動明王



2006年03月12日

東門

史跡加賀美遠光公館跡
甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の曾孫加賀美遠光公はこの地に館を構え、遠く京都にまでその名を知られた鎌倉時代の名将である。高倉天皇御病の折、遠光公は文武両道の達人として勅命により宮中に召され、源家伝来の「鳴弦の術」によって直ちに病魔を退散せしめ、数々の恩賞を賜ったと伝えられる。
鎌倉幕府創立に際しては甲斐源氏一族と共に源頼朝を援助し、その功績により源氏六人受領の一人として信濃守に任ぜられている。遠光公は武人としてのみならず古来からの典礼故事の学にも詳しく、その後の武家の儀式礼法の大綱を定めている。今に伝わる小笠原流礼法はその流れを汲むもののひとつである。
(看板資料より)


本堂

東門のところに加賀美遠光公館跡の大きな看板がありましたが、正門は反対側の目立たないところにありました。駐車場もそちら側にあって十分な広さがあります。現在は館跡が法善寺境内になっていますが、周辺には水路もあり館跡と思わせるようなところも残っていました。境内は思ったより広大で驚きました。きちんと管理されているようできれいに整備されていました。


法善寺の鐘楼
建築年代は未詳であるが、古代の鐘楼の形式を遺し、室町期の風格を備えた貴重な建造物である。簡素な吹放式の重層建築で、四隅柱は下層が大面取角柱、上層が丸柱、屋根は寄棟造の茅葺であったが、平成7年に完成した解体修理により細部にわたって補強し、軒廻りと小屋組を大幅に改修して様式を入母屋造銅鈑葺にした。
新たに頭貫を柱頂部に嵌め込み、和様の三斗組の斗拱を組み、中備えには平三斗を置き、格天井を張り軒は一軒の疎垂木造に改めた。また雨落石を廻らし、軒内を叩きとした。
(看板資料より)

梵鐘
甲斐国志に当山の梵鐘について「古縁起云建長3年辛亥11月19日大鐘鋳」とあるが、これに比定することはできないにしても、制作年代は14世紀を降らないものと推定され、中世甲斐国八梵鐘の一つである。大鐘としては稀なことであるが、全く刻銘が見られない。ただ撞座の上に梵字が陽鋳されているが、これは全国的に見ても珍しく2、3しか例がないとされている。音色重厚幽玄の名鐘である。
(看板資料より)


不動明王

宝蔵

寺宝
織田信長・徳川家康禁制
武田信玄祈願文
唄多羅樹葉経典2巻
古文書類
その他
(看板資料より)

 

 
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