法印の首塚 |
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戦国争乱の世、上洛し、天下に覇をなさんとの野望に燃える甲斐の武田信玄は、諸将に大軍を引きつれ小田原に北条氏を攻めた後、相模川沿いに北上し、三増峠(愛川町と津久井町との境)を突破せんとする時、北条方もこれに大軍を備えて迎え撃ち、激しい戦闘が展開された。時は永禄12年10月8日、世に言う「三増合戦」である。山岳戦になれた武田軍は、堅固なる北条方の陣営を突破して山王の瀬を渡り、甲府に無事帰還したのである。 三増合戦に勝利をおさめ甲州へ帰還しようとする武田勢の一支隊の退路を絶たんと、北条配下にあった日向薬師の山伏たちが壮絶な戦いを挑みましたが、奮戦むなしくこの地において討ち死にしました。
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戦国争乱の世、上洛し、天下に覇をなさんとの野望に燃える甲斐の武田信玄は、諸将に大軍を引きつれ小田原に北条氏を攻めた後、相模川沿いに北上し、三増峠(愛川町と津久井町との境)を突破せんとする時、北条方もこれに大軍を備えて迎え撃ち、激しい戦闘が展開された。時は永禄12年10月8日、世に言う「三増合戦」である。山岳戦になれた武田軍は、堅固なる北条方の陣営を突破して山王の瀬を渡り、甲府に無事帰還したのである。 三増合戦に勝利をおさめ甲州へ帰還しようとする武田勢の一支隊の退路を絶たんと、北条配下にあった日向薬師の山伏たちが壮絶な戦いを挑みましたが、奮戦むなしくこの地において討ち死にしました。 |
諏訪神社
青根の諏訪神社の大スギ:かながわの名木100選 法印の首塚は、青根の郵便局で場所を聞いてやっと見つけることができました。国道413号線から犬越路へ行く路は国道から入って諏訪神社の先から工事で通行止めになっていましたが、諏訪神社を越えて更に消防署を超えて突き当たったところを左に行ったところにあります。青根は山梨県との境にあり、三増からはかなり離れていますがこんなところにまで合戦に関する言い伝えが残っていたのにはびっくりしました。 青根郷と武田信虎
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