ババア宮の由来
ババア宮は、武田勝頼滅亡後、小山田信茂の家臣のひとり小山田八左衛門は一族を連れ小田原に向けて落ちのびる途上、津久井町青根、音久和地内で姥は敵の手により殺されました。
この地に村人はその死をいたみババア宮をつくり霊をなぐさめたといわれています。
(看板資料より)
ババア宮はジィジィ宮から神ノ川を更に下って行き、少し道路が広くなっているところにありました。自動販売機のまん前なので自動販売機をめざして行けばたどり着けると思います。
近くに老婆がいたのでババア宮について聞いてみたところ、昔は道路を挟んで反対側の川の近くにあったらしく、周辺はババ神という地名だったのだそうです。藤野町の人が現在の所に祠を移動させたということでしたがそれ以上の詳しいことは分かりませんでした。しかし、近所に詳しい方がいらっしゃるということで電話で在宅を確認してもらってお宅を訪問させていただきました。彼は津久井町内を中心に武田信玄をはじめ、いろいろな時代の史跡などについてご研究されている方で、すべて自分の足で出向いて写真をとり、文書を調べ、自分なりにアルバムにまとめておりました。見せていただいた資料の中に神ノ川の神社というものがあり、そこになんと折花神社の前に立っている看板の写真があり、ちゃんと文字も見える状態でしたので了解を得て写真を撮らせていただきました。折花神社についての資料は後日自宅に送っていただけるということでした。
彼の説では、折花姫や翁、姥らと、小山田八左衛門行村は関係ないのではないかとのことでした。
|