浜松城 |
2015年02月07日 |
天守閣
浜松城の沿革
天守曲輪
天守曲輪の礎石 |
浜松城の石垣 |
天守曲輪の石垣 |
天守門
浜松城の第二代城主、堀尾吉晴は城の中枢である天守曲輪に天守を建築したと言われているが、この天守は古図などの資料から、江戸初期には喪失していたと考えられる。天守曲輪入口の天守門は幕末まで維持されたが、明治6(1873)年に解体され、払い下げられた。「安政元(1854)年浜松城絵図」には安政地震による浜松城の被害状況が示されており、天守門でも櫓の一部が潰れたものの、深刻な被害を免れた事が記載されている。 |
浜松城ニの丸跡 |
2013年01月27日 |
浜松城は徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、元亀元(1570)年6月に入城し、17年間在城した。東西600m、南北650mの規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ三の丸、二の丸、本丸、天守台と連なり、順次高さを増す。ここは、その天守曲輪の跡である。家康の後、城主は代々譜代大名が勤め、在城中に老中まで栄進した人が多い。中でも水野越前守忠邦の名はよく知られている。石垣は野づら積みと呼ばれる堅固な作りで、古い石垣の特徴をよく残しており、浜松市の史跡に指定されている。 |
八幡台
ここは天守台の北西にあたり、五段の石垣により天守台より高い。面積はおよそ40u(12坪)あり、浜松城のなかで最も高い所である。 |
二の丸から見た天守閣
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天守台と天守閣 |
浜松城の沿革 |
本丸
二の丸 |
浜松城の石垣
浜松城の石垣は見るからに荒々しい。自然石を上下に組み合わせて積み上げたもので、表面に石のすき間もあるが、奥が深く堅固である。外観は粗雑でちょっと見ると崩れやすいようであるが四百年の風雪に耐え、今なお戦国時代の面影を残している。
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1984年03月26日 |