静岡県浜松市
徳川家康が浜松城を築く時に、玄黙に門をつくって玄黙口と称しました。三方ヶ原の合戦で敗れた家康は、犀ケ崖の手前に旗を立てさせ、逃れ来る味方を集めて玄黙口から収容し、自身も夏目次郎左衛門正吉が「我が家康なり」と名乗って討ち死にする間に玄黙口から城に入ったという史実があります。 (浜松市ホームページより)