風林火山館 |
2008年04月05日 |
主殿内部
以下はボランティアの説明を参考としています。 |
長屋
入口から中に入るとお土産売り場がありますが、これは撮影の際は下級武士の長屋に使われたのだそうです。そしてしばらく進むと冠木門(かぶきもん)がありますが、これは実際には無かったものなのですが、躑躅ヶ崎館から騎馬隊が出て行くときに画面に迫力を出すために作ったものなのだそうです。 |
館の横の長さは本物は約218メートルですが、ここの風林火山館では約70メートルなのだそうです。実際には小さいものでも撮影の技術で大きく見えるように撮影したのだそうです。 躑躅ヶ崎館は武田家の最後の3代が住んだ館であり同時に城でした。城といっても当時は天守閣や石垣などはありませんでした。この館が建設された時期から約60年後に織田信長が安土城を作りそれが天守閣の第1号なのだそうです。 大手門の両脇にある中途半端な石垣は飾りであり、武田信虎が自分の強さを周辺の豪族達に示し、恐怖心や威圧感を与えるためのだったのだそうです。 躑躅ヶ崎の館は城とはいっても防御力は低く、いざという時のために館の裏のほうに要害城がありました。何かあったら要害城に逃げ込む作戦です。実際に今川勢が大軍で攻めて来たことがありますが、信虎は奥方を要害城に避難させ、そこで生まれたのが信玄公になります。 大手門の両脇には堀がありましたが、向って左側が水堀、右側は空堀になっていました。水堀と空堀では空堀の方がすぐに敵を発見できるので防御力が高かったとのことでした。 普段大手門は閉まっていて、帰ってくると「開門!」と叫びます。すると館の内部にある御番所に詰めている人たちが門を開けにくるのだそうです。そして親方様だけが正面から入門し、他の人たちは横から入って行くのだそうです。 |
主殿
大手門を入ると広場になっていますが実際の館の場合はここに3千人くらい集まることができたのだそうですが、ここではせいぜい500〜600人程度だそうです。また実際の館では郭が5つあったのだそうですが、ここでは1つだけの郭を再現していました。建物は4つあって、二階櫓、御番所、厩、主殿です。厩がこんなところにあるのには理由があって、当時厩は親方様の高級車のガレージのようなものでまた毒などにも弱かったのでここなら御番所からも見張れたとのことでした。 主殿は当時は総理官邸のようなもので甲斐の国を象徴したものであり、設計図はありませんでしたが重田氏が諏訪大社をイメージしてデザインしたとのことでした。 |
御番所
厩
二階櫓
的場
風林火山館をデザインした重田重盛さん
|