海岸寺の北西にそびえる双峰の山を源太山と呼ぶ。この山の北側は急傾斜であるが、尾根が東に延びて東の山に続く。また南斜面は比較的緩やかである。
この尾根は海岸寺の北でくびれ、ここを海岸寺峠と呼ぶ。現在大和から林道が建設されて、部分的に遺構が破壊されているが、双峰のそれぞれに中央の平坦部を中心に数段の帯郭が配されている。東側の山頂には秋葉神社が祀られている。土塁はまったく存在せず、斜面を数段の平坦地に整形しただけの遺構である。東西の山頂の中央には尾根切がある。
山頂に立てば西に旭山砦・谷戸城が、南には須玉川の流域や若神子城、北には浅川や平沢方面が一望できる。この城が烽火台ルートに入っていることが頷ける眺望である。
『甲斐国誌』は「村ノ西北拾数町海岸寺寺山へ続キタル最モ高キ峰ヲ云。上ル路険悪、頂ニ双峰アリ。各数拾人ヲ置クベシ。…里人ハ清光ノ城ナリト云伝フ。按ズルニ古宮ハ居館ニシテ、此処ハ要害ナリシニヤ。又烽火台ニモ用ユベシ」と記している。
以前の佐久往還は若神子から穴平を経て関屋橋付近で須玉川を渡って津金に入り、古宮屋敷の北から大和、大和から谷を下って須玉川を渡り、長沢の関所に通じていた。また上述のように、海岸寺峠から信濃佐久方面に至る道もあった。つまり交通の要所であり、眺望がきく本城を、地元の津金衆が警護していたと思われる。
(日本城郭体系より) |