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広島市

福王寺


2009年08月12日

嵯峨天皇の代。弘仁2(811)年弘法大師の開基の寺であり、堂塔伽藍は淳和天皇の建立による。この寺は大師が諸国を修行中、この山に登り林の中に光る一樹をみつけ、それに不動明王像を彫ったのが始まりとされており、この時、池中の金色の亀が浮かび出して大師に拝礼をしたことから金亀山福王寺と名づけられたといわれている。盛時には霊山勝地の道場として左右に四十八の僧坊を連ねており、その後一時衰微の兆しをみせていましたが、正和4(1315)年禅智上人が現われて後、立派に再興されました。五重の塔は足利尊氏の建立。また仏舎利と大師の御真影は義満公により当寺に移され時の守護武田伊豆守も再興に尽力したため破壊されていた堂塔は今日ある姿に再建された。境内には、本堂、大師堂、阿弥陀堂、鐘楼、仁王門等が配置されている。またここには文化的価値の高いものが多く、県指定重要文化財の木造不動明王立像及び市指定天然記念物の燈明杉、寺宝であるさざれ石などがある。
(看板資料より)

武田伊豆守氏信公供養塔

かなり急な坂を登った後も車でずいぶん高い所まで登ったような気がしました。途中展望台などもありましたが天気が悪かったので何も見えませんでした。福王寺の駐車場があったのでそこに車を止めてそこからまたちょっと歩きました。安芸の高野山という意味が分かったような気がしました。そして頂上にたどりついた頃には雨が降ってきました。境内には大きな建物が幾つもあって驚きました。武田伊豆守氏信公供養塔には銀山城主初代と書かれていましたが、銀山城が築城されるのはもっと後になってからなので、安芸武田氏初代の方が相応しいのかもしれません。


燈明杉

境内に燈明杉がそびえるここ福王寺は、弘法大師の開基と伝えられていますが、鎌倉時代以降は銀山城主武田氏などの保護を受け、江戸初期の頃まで郡内真言宗の中心寺院となっていました。この燈明杉の名称の由来は明らかではありませんが、福王寺の歴史の一面をなすもので、江戸時代の地誌「芸藩通志」などには既に燈明杉と記されています。
(看板資料より)

 

 
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