菩提所観音寺跡
熊谷氏の一族の菩提所観音寺は、かつては大内義隆が宿泊したこともある大寺であったが、天正19(1591)年熊谷氏が広島城下に移ってからは次第にさびれ、今では巨石で築いた100mに及ぶ石垣と、熊谷氏の定紋(穂矢)を刻んだ古い須弥檀を安置した小さな観音堂に、当時の面影をわずかにとどめている。観音堂南側の墓所には40基余りの古い五輪塔、宝篋印塔がある。熊谷氏代々の墓と伝えているが、形が崩れてはっきりしない。しかし慶長5(1600)年熊谷氏の主流が毛利氏に従って萩に移ってからも、度々家臣を墓参させていたという。また境内の井戸は、有田合戦で討死した熊谷元直の腕を彼の妻が洗い清めたという言い伝えがある。
(看板資料より)
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