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広島市

安芸源氏武田一族終焉の地


2009年08月12日

今を去ること四百有余年の昔、天文10年3月13日新羅三郎源義光が末裔、安芸の国守護武田信重はおしよせる大内・毛利の大軍に祖父の地を死守せんと奮戦せしも、衆募敵せず金山城にて一族諸共に自刃す。残りし血族は悉く捕われ、6親等に至るまで女人、幼ごの区別なくこの地冷たき石積みの上にあわれ無情の刀にかかりてはて、封印される。時は流れ、辛くも難をのがれその血を今に伝えし者共真を積みて悲願結集し、尊き仏法の功徳をもて縛はとかる。
今はただ苦もなく怨みもなく一族とともに仏国浄土に赴かん。願わくはその説く所怨親平等の大慈大悲戦乱に倒れし遍くの諸霊の上に注がれん事を。
諸行無常 是生滅法 生滅滅巳 寂滅為楽
(石碑記載文章より)

今回探し出すのに一番苦労したのがこの「安芸源氏武田一族終焉の地」です。祗園西公民館のホームページで紹介されていた情報を元に周辺を探索したのですがどうしても見つけることができず、初日は断念したのでした。そして2日目に安佐南区役所区政振興課を訪れ、担当の方が熱心に調べてくれたのですが、祗園西公民館の担当の方は今日は休みとのことで結局具体的な場所は分かりませんでした。しかし住所を元に大体の場所の見当をつけることができたので広島を去らねばならない日の前日の夕方ギリギリになってとうとう訪れることができました。
安芸源氏武田一族終焉の地の石碑の周辺には石が盛られた3つの墓群がありましたが具体的なことは分かりませんでした。

 

 
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