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長野県茅野市

塩沢寺

2015年05月03日


右霊位は塩沢区森元秋恵家に永く祀られありしも森元家としても院号の法名を有する心当たりもなく謎として今日に至る。
たまたまNHKのテレビドラマ「武田信玄」により武田家滅亡の経緯について研究も進み今迄高貴の方の墓としか伝承されなかった家型のお墓と森元家の謎の戒名が一致し諏訪頼重の先室お大方様(小見夫人・湖衣姫の母)と侍女のものと判明する。
お大方様は東筑摩郡朝日村古見の生まれにして武田滅亡の兆しを悟り天正10年3月勝頼に請うて故郷に帰るべく供人召し連れ新府城を出たが、途中武田家庇護の下開基せる塩沢寺に辿り着く。
既に諏訪地方は織田勢に席巻され居り、武田家残党狩り厳しく古見に帰れぬまま、此の地に眠る。
此の事跡が古見に伝えらるる所となり再三調査の結果、お大方様の意思を叶え上げるべく、分骨の儀を古川寺住職、古見区長上條一族から申込あり、塩沢寺住職塩沢区長及び関係者協議の末、昭和63年7月10日法要を修し送授する。
分骨は朝日村古見城主上條佐渡守室(お大方様妹)が眠る墓地に埋葬され古川寺境内には「小見夫人(諏訪頼重公室)法要記念塔」が建てられた。
(看板資料より)


お大方様侍女の墓

 
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