泰平山 安国禅寺の由来
延元3(1338)年に天下を平定し、征夷大将軍となった足利尊氏は当時の名僧夢窓国師の勧めに後醍醐天皇はじめ元弘以来の戦乱によって死傷した人々の菩提を弔い、あわせて足利幕府の威信を示し民心をつかむため京都に天龍寺を建立した。その後、興国6(1345)年2月にいたり幕府は光厳上皇に奏請して全国66ヶ国に一寺一塔を造立したのが安国寺である。信濃国の安国寺は、当時幕府の奉行人として活躍した諏訪円忠のはたらきによってこの地に建立された。古代から諏訪大明神の現人神として崇敬された大祝の居館の地である前宮に近く、干沢城下の門前には大町、小町が繁栄した中心地であった。然し度重なる宮川の氾濫と戦乱によって次第に衰弱したが戦国時代にいたり諏訪を一時期支配した武田信玄の保護や諏訪氏中興の祖である諏訪満隣らの帰依によって寺は再建された。足利将軍家の御位牌15体、諏訪家先祖一族の御位牌18体、諏訪氏系図、天正の法度状、紺紙金泥の軸物などが納められており藩主代々の墓参と供養が行われた。江戸時代安永年中にいたり現在地に移転造立され、宋宗旨は臨済宗妙心寺派となり「こがい」といった部落名もいつしか安国寺村と呼ばれるようになった。
(看板資料より)
|