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長野県茅野市

朝倉城

2015年05月03日

朝倉城の絵図

朝倉城は塩沢城とも云えり、天文年間、塩沢安兵衛なるもの、武田信玄に従い信州大門の合戦に特功あり、朝倉城押仰付けらる。その子将監もまた城主となる。
朝倉山は、小県、佐久の二郡に対する重要なる関門たり。此の地高さ数十丈峻峭として聳立する所なれば眺臨甚だ便宜なり。朝倉城址は朝倉山上にあり、山城として諏訪郡南北山浦一帯の地方を眺望し得るの要害にして大門街道の要路を扼す。
城址は塩沢より約200mの高地にして空壕土塁の跡残存す。又西面の中段に廃井あり、僅か飲料の掬すべきあり。所謂戦時に当り斥候兵の屯せし所なるや。
武田氏に従いて後この山城は狼煙台として使用されしが戦跡として何等の考証はない。
主家武田氏滅びしより城主塩沢将監、朝倉山高照院塩沢寺を開基し、天正5年3月7日没す。塩沢寺裏小丘に自然石の墓碑あり。
(看板資料より)

主郭

朝倉山城は別名塩沢城ともいい、戦国時代の砦・狼煙台で標高は1086.7mである。山浦地方を一望にでき、小県・佐久・川中島方面への要路大門峠を見張るには絶好の地で、湯川砦は東方眼下指差の間にあり、武田氏が狼煙台として使ったという伝承はうなづける。
天文年間、塩沢安兵衛が信玄に従って朝倉城を守ったと伝えられる。その子将監も在城し、塩沢寺を開基している。
城の縄張りは細長い山頂部に、周囲に土塁を持つ円形の主郭を中心に、空掘を挟んで二の郭・三の郭・後郭等を一列に配した連郭式で、これに東の張り出しに狼煙台に使われたと思われる東郭を設けている。
遺構はその郭の配置と空掘等をよく残し、付近に越道・水の手・東入・城越・横山・大岩鼻・苅立窪・扇平・鬼久保・御社宮司・駒返などの小字名が残っている。
(看板資料より)

東郭

 
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