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長野県茅野市

湯川城(桝形城・原ノ城)

2015年05月03日

原の城跡

原ノ城の絵図


湯川むら
当湯川区は女の神山の蓼科山・八ヶ岳連峰を仰ぎ、蓼科温泉郷・白樺湖・霧ヶ峰を控える要衝の地であり、縄文時代から人が住み、南北朝には大門街道の宿場として早くから繁栄していた。その後甲州武田方や諏訪方の要所となり湯川城が築かれ、諏訪神社の上社と下社の重要な神領ともなった。功徳寺横の松は街道の名残である。湯川温泉『河童の湯』は効能ある純天然温泉として親しまれ、花卉栽培も盛んで、平穏な村里である。
史跡名勝に、国指定上ノ段遺跡、湯川城跡、名刹功徳寺経塚跡、旧警察屯所と北山役場跡、湯川水力発電所跡、高風呂遺跡、矢ノ口遺跡、問屋と高札場跡、ダルマ石、鬼石、朝倉山、杜鵑峡等がある。
(看板資料より)

史跡 湯川城(枡形城・原ノ城)跡
湯川城は、南北の渋川と滝の湯川の間の高台にあった広い城で、枡形城・原ノ城を含む。両城の間には、1km余の深い壕があり、砦の沢と呼ばれ、土塁の跡も残る。天文年間、武田信玄の築城と言われ、大門峠の棒道筋で佐久方面への侵攻や川中島出兵等の拠点として利用された。
(看板資料より)


桝形城跡

桝形城の絵図

 



2004年06月19日

原ノ城の絵図

湯川むら
当湯川区は女の神山の蓼科山・八ヶ岳連峰を仰ぎ、蓼科温泉郷・白樺湖・霧ヶ峰を控える要衝の地であり、縄文時代から人が住み、南北朝には大門街道の宿場として早くから繁栄していた。その後甲州武田方や諏訪方の要所となり湯川城が築かれ、諏訪神社の上社と下社の重要な神領ともなった。功徳寺横の松は街道の名残である。湯川温泉『河童の湯』は効能ある純天然温泉として親しまれ、花卉栽培も盛んで、平穏な村里である。
史跡名勝に、国指定上ノ段遺跡、湯川城跡、名刹功徳寺経塚跡、旧警察屯所と北山役場跡、湯川水力発電所跡、高風呂遺跡、矢ノ口遺跡、問屋と高札場跡、ダルマ石、鬼石、朝倉山、杜鵑峡等がある。
(看板資料より)

史跡 湯川城(枡形城・原ノ城)跡
湯川城は、南北の渋川と滝の湯川の間の高台にあった広い城で、枡形城・原ノ城を含む。両城の間には、1km余の深い壕があり、砦の沢と呼ばれ、土塁の跡も残る。天文年間、武田信玄の築城と言われ、大門峠の棒道筋で佐久方面への侵攻や川中島出兵等の拠点として利用された。
(看板資料より)

 
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