江馬輝盛の墓 |
2006年05月04日 |
江馬輝盛の墓
京都における応仁の乱(1467年)以降日本全国は戦国時代となり、各地に戦乱が広がっていくが飛騨地方においても北部(高原郷)には江馬氏、中部(古川盆地)には姉小路氏、広瀬氏、小島氏、南部(益田・大野郡)には三木氏の群雄が割拠していた。 |
江馬輝盛の切腹石
江馬輝盛の墓は神岡にある江馬氏菩提寺の円城寺にあるそうなのですが、実際に国府町のこの地で戦死したとのことでありここにも墓がありました。
|