長源寺 |
2014年11月23日 |
嘉吉3(1443)年に希明清良が開山、後閑城主依田信濃守政知(法名:長源寺殿大材全棟庵主)が開基とされ、後閑城主新田伊勢守信純が中興開基とされる。 |
本堂
応永32(1425)年12月26日に鎌倉府は上野国守護代長尾憲明に丹生郷(富岡市)を岩松満長に渡すように命じている。これにより上杉禅秀の乱で所領没収された岩松氏は所領を回復した。また「上州故城塁記」によると、新田景純の時に北条政時を滅ぼして丹生山から碓井郡の後閑城移ったとある。 |
後閑信純の墓
中島興十郎の「後閑の歴史」によると、中央は「吉祥寺殿前勢州太守一山真純大居士(後閑信純)」、左は「長源寺殿利山源勝大居士 伊勢殿之嫡子(後閑久純)」、右は「長源寺殿法岸信晴大居士 享徳元(1452)年壬申7月23日(没年から考えて依田全棟の父である依田忠政か)」としている。 |
依田全棟の墓
長源寺開山である依田全棟の墓は歴代住職の墓所に安置されている。 |