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    長野県駒ヶ根市

長春寺

2015年10月12日


天正10(1582)年織田軍の兵火により、この寺は赤須城もろとも灰塵に帰した。
(長野県の武田信玄伝説より)

 



2008年11月02日

長春寺に到着すると境内からは煙が立ち込めていました。ちょうどご婦人が草むしりをしてそれを燃やしていたのです。忙しそうでしたが長春寺について尋ねてみたところ快く対応してくださいました。赤須長春という人が開基とのことで長春寺という名の由来だそうです。織田信長による武田氏討伐の被害によりまさに灰塵に帰してしまい、資料は何も残っていないとのことでした。場所も現在の場所ではなく、もう少し高い位置にあったといわれているそうです。
今でこそ伊那市として同じ区域になっているが、昔は天竜側を挟んで向かい側は高遠領だが、こちらは天領であり、まったく別の地域だったとの話を聞かせてくれました。付近には高遠から逃れてきたという人の子孫であるという方もいるとのことでした。
また赤須氏研究者が訪れて来たこともあるとのことでした。

天正10(1582)年織田軍の兵火により、この寺は赤須城もろとも灰塵に帰した。
(長野県の武田信玄伝説より)


赤須城

 

 
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