佛国寺 |
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武田元信は父武田国信以上に公家と交わり、飛鳥井兄弟をはじめ、三条西実隆らとの交流があった。文亀2(1502)年6月20日、段銭賦課などの重圧に耐えかねた国衆・百姓らはついに蜂起し武田氏館を攻撃、一族の武田持明同子弥五郎らを攻め殺してしまったのである。 |
武田元信の墓(右側)
安芸・若狭武田一族によると、仏国寺には武田系図(仏国寺本)が保存されているが、これは武田本家最後の当主、若狭8代目の武田元明の遺命によって納められた。その関係から元明の子と称する木下勝俊(長嘯子)の子孫によって元明の五輪の塔が元信の墓域に新設されたとのことです。上の写真で向って左側が武田元明の供養塔と思われます。 木下勝俊 |