発心寺 |
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武田元信の代までは名門の守護大名として一応の面目は保っていたが丹後での敗戦、一族逸見氏の叛乱など元光の相続した頃は国内外ともに不安定な情況となっていた。守護館は一色氏以来西津にあったと考えられるが、平館であり防備の点では不完全であった。このため武田元光は大永2(1522)年小浜市街地の南側後瀬山に築城を始めたのである。海抜168メートルの山頂に主郭を配し南北500メートル、東西350メートルの範囲に城郭は広がっている。 |
木造武田元光像
武田大膳太夫元光は、若狭守護職武田元信の子として誕生、大永元年(1521)父の没に伴って家督を相続し、同2年には後瀬山に居城を築き、その山麓に守護館を移し、戦国大名としての体制を整えたと考えられている。 |
武田元光の墓
当日はお盆で忙しそうだったのですが、お寺の方が対応してくれました。最初にお寺の奥の方まで案内して頂いて木造武田元光像を見せてくれました。写真撮影も許可を頂きました。また武田元光の墓も場所と行きかたを教えてもらったのですがなかなか見つけることができず苦労しました。高く土が盛られた上に立派な宝篋印塔がありました。 |