安中城 |
2014年11月23日 |
碓井川・九十九川に挟まれた高さ数mの台上に築かれ、近年国道17号線が東北部を貫通してしまった。南側には安中の旧宿場町が中山道を挟んで東西に続く。ここはもと野尻と呼び、永禄2年に安中忠政が窪庭図書を退けて築城したのだという。弘治2(1556)年、武田信玄と上杉方の長野業政・安中忠政ら上野諸将との瓶尻合戦は上杉勢の敗戦に終った。信玄の重圧を受けるようになった忠政は新たに安中に築城して嫡子忠成を入れ、自身は松井田城を強化して信玄に備えた。 |
竪堀跡
安中市中央体育館の裏は崖になっていて下には国道18号線が走っています。体育館に向って左奥にある窪みが唯一遺構として残っている竪堀跡だそうです。木や雑草が生えているので分かりにくいですが言われてみれば竪堀に見えるような気がします。 |
櫓台跡
安中城の北東方向にある台地で安中城から国道18号線を渡ることができるお八重橋を渡った先にあります。櫓台跡、もしくは硝煙蔵であったともいわれているそうです。 |
北側から見た安中城跡
2005年04月30日 |
安中城の石碑(安中小学校校門横)
安中城が武田信玄に攻略される年代については諸説あってよく分かりませんが、少なくとも箕輪城攻略の際もしくはそれ以前に松井田城とともに攻略されたようです。安中氏はその後も武田軍団として活躍しましたが、天正3(1575)年の長篠の合戦に参戦して全滅し、その後しばらくの間は廃城同然になっていたようです。徳川家康の関東入封後に再び再建されたそうですが、現在は安中小学校の校門の左側に上の写真のような石碑が残っているのと、安中小学校周辺に下の写真のような案内板が立っている程度でした。 |
安中城大手門入口