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静岡県森町

蔵雲寺

 
2013年12月31日

本堂

正保4(1647)年の「蔵雲院門前屋敷諸役免許に関する書状」によると、天方郷18代の地頭山内山城守が、崇信寺5代の助吟和尚を請じて山居に開山したと伝えられます。
山門を潜って階段を登ると、正面に本堂が建ち、本堂の背面に位牌と開山堂が続き、本堂の東に庫裏が繋がっています。
棟札によると、現在の本堂は延享5(1748)年に上梁を迎え、それから3年後の寛延4年には花島善兵衛によって須弥檀前の前机が奉納されており、このころには内部の造作も完了していたと考えられます。
西側には、天方氏の墓と伝えられる五輪塔印塔が苔むしています。天方氏三代の墓がありますが、誰のものかはっきりしていません。
(看板資料より)

天方氏三代の墓


五輪塔

墓碑建立事由
全国天方氏一族は、本五輪塔を建立する。蔵雲院は、飯田崇信寺5世助吟祥佐和尚を開山に、天方城主天方山城守通季を開基として、文亀元(1501)年に創建したものである。戦国期より幾星霜、平成13(2001)年で500年を迎える。
全国天方氏一族は、創建500年を記念に
天方山城守通季:蔵雲院殿明室道分大居士
天方三河守道稙:長泉院殿天岩高普大居士
天方山城守通興:方太寺殿天叟夕雲大居士
右、天方城主三代を始め、先祖累代の霊を供養するため、この五輪塔を建立す。
平成10年8月
全国天方氏一族代表 天方啓二 合掌
(石碑記載文章より)

 


 
2012年02月19日

正保4(1647)年の「蔵雲院門前屋敷諸役免許に関する書状」によると、天方郷18代の地頭山内山城守が、崇信寺5代の助吟和尚を請じて山居に開山したと伝えられます。
山門を潜って階段を登ると、正面に本堂が建ち、本堂の背面に位牌と開山堂が続き、本堂の東に庫裏が繋がっています。
棟札によると、現在の本堂は延享5(1748)年に上梁を迎え、それから3年後の寛延4年には花島善兵衛によって須弥檀前の前机が奉納されており、このころには内部の造作も完了していたと考えられます。
西側には、天方氏の墓と伝えられる五輪塔印塔が苔むしています。天方氏三代の墓がありますが、誰のものかはっきりしていません。
(看板資料より)


本堂


天方氏三代の墓


五輪塔

墓碑建立事由
全国天方氏一族は、本五輪塔を建立する。蔵雲院は、飯田崇信寺5世助吟祥佐和尚を開山に、天方城主天方山城守通季を開基として、文亀元(1501)年に創建したものである。戦国期より幾星霜、平成13(2001)年で500年を迎える。
全国天方氏一族は、創建500年を記念に
天方山城守通季:蔵雲院殿明室道分大居士
天方三河守道稙:長泉院殿天岩高普大居士
天方山城守通興:方太寺殿天叟夕雲大居士
右、天方城主三代を始め、先祖累代の霊を供養するため、この五輪塔を建立す。
平成10年8月
全国天方氏一族代表 天方啓二 合掌
(石碑記載文章より)

 

 
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