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バイカル湖


<6日目>1989年2月14日(火)

7:40起床。外はまだ薄暗い。明け方の夜景もこれまたきれいだ。タバコを吸っているうちに日名子氏が起床である。

8:30下へ行き朝食を食べる。1階のバーの先にある食堂だ。バイキング形式で、牛乳やパンやチーズみたいなやつや味の無い赤いもの等であまりうまくない。我らの席に日本人が1人やってきた。彼はモスクワからやってきたらしく今日シベリア鉄道に乗ってハバロフスクへ向うとのこと。須山高志氏といってなんと市川の若宮に住んでいるらしい。高校は薬円台でなんと鹿野の同級生だ。ネーゲロを知っていた。〜9:20
噂によると今日これからバイカル湖のツアーが出発するらしい。今からでも申し込めるみたいだ。値段は2300円と安い。さっそく申し込む。またあの連中と一緒だ。出発は10:30。部屋へ戻ってきて支度をして1階でパスポートを受け取り2階のベリョースカの前で待つ。まだみんな来ていない。ちょっと早すぎたか?

そのうちみんなが集まってきて10:30過ぎにはインツーリストの日本語ガイドのミハイルさんが来てバスに乗り込む。立派なバスだ。総勢17名。このミハイルさんはモンゴル人にたいな顔をしている。イルクーツクの市内を通って郊外へ脱出である。55kmくらいの距離があるらしい。私は後方の席を陣取りガイドさんの話を聞く。日名子は録音していたがすぐに寝てしまった。みんなも寝ていた。起きていたのはダスビダーニアの杉原氏とイズヴィニーチェの岩根氏だ。

11:45にアンガラ川へ到着。ここはバイカル湖がアンガラ川になるところで川幅はおよそ800m。でかい。川は凍らずにドンドン流れている。ミハイルさんに聞くと流れが急なため全く凍らないらしい。外の気温は-10℃ぐらいだそうだが寒い。超寒い。というより顔が冷たいという表現が適当だろう。体はコートを着ているしそんなに寒くない。風が強いので寒さが2倍に感じるらしい。ここで写真を撮って川岸まで降りていくが私はどうもよくひっくり返るので警戒して歩く。


アンガラ川は急流のため凍ることはない。
バイカル湖には336の川が注いでいるが流れ出ているのはこのアンガラ川だけです。

 

再びバスに乗り込みホテルへ行って昼食らしい。12時前にホテルに到着して外で全員写真を撮る。何もないところは風があって寒いが建物に隠れると暖かい。みんな下へ行ったが私と須山氏は世間話をしつつ、バイカル湖の写真を撮っていた。

そのうちにみんなホテルに入っていった。私達も入る。バーへ行ってタバコを吸っているうちに13時になってミハイルさんがやってきて昼食のご案内である。コートを預けてバーの隣の食堂に入る。あの3人もいた。あの3人組は列車で隣のコンパートメントだった人達で、彼らはバイカル湖ツアーを日本から申込んでいたらしいので別のバスでここに来ているらしいのだ。

ボルシチ、パン、ゼンマイに変な味をつけたようなもの等でうまい。あと魚をフライドチキンにしたようなやつでこれもうまい。ゼンマイはうまいのだがみんな(菊川氏、須山氏、日名子氏)は笑っていてバカにしている。が須山氏はうまさが分かったらしい。違いの分かる男だ。あとミネラルウォーターだがこれもみんなは飲まないので私がゴクンゴクンである。早めに食って私は1人バーへ行ってコーヒーを飲むが菊川氏らもやってくる。須山氏、菊川氏と女の人(京都の人)と座ってコーヒーを飲む。25Kである。うまい。バーにはフランス人の団体がいた。

14時には出発してバイカル湖の上を散歩しにいく。ホテルから下って湖沿いに進み、途中標識に「リストビャンカ」と書いてあった。すぐに港らしきところに到着。ここからバイカル湖に突入するらしい。船は氷が張っているので動けない。私はぐんぐん沖へ出ていく。ここらへんは1km沖へ行くと深さがちょうど1kmくらいになるらしい。対岸はやはり見えない。

氷の厚さはどれくらいだったか忘れたが氷の下が見えるところがあって少し緊張する。 カメラを持っているので滑らないように恐る恐る歩く。みんなは反対側の方へ歩いていったが、私は来た道を戻って港へ行く。ここであのトランスファーをつけていた3人組と出会う。彼らに現地人と間違われた。

陸に上がってみんなの向った方へ行ってみる。ちょうどみんながこちらに来ていた。この寒い中、オートバイで快走していくロシア人がいた。すごい。バスに乗り込み菊川氏と住所交換してバスは14:50スタートである。私は一番後ろの席につく。後ろからタイガの写真を数枚撮った。
そのうちイズビニーチェの岩根氏も来て2人で後ろの席に座る。途中トラックが火をふき止まっていたので我らのバスの運転手が救援に向った。煙がモクモクである。

14時過ぎにホテル着。
ホテルに着いてからロビーにいたがみんなは今日これから列車に乗ってしまうので町へ出ていった。日名子氏も行った。私は菊川氏とともにホテルに残った。

ロビーにいるのも何だかおもしろくないので菊川氏とあの氷の滑り台に行く。行ってみると小学生くらいの女の子がいて滑っていたので私も挑戦する。実はもう滑れるようになっていたので滑って見せるのだが何の反応も無い。私は拍手してやったのに。菊川氏はスッテンコロリで肘を打ってしまったらしい。その後この2人と写真を撮って帰ってくる。

ロビーで谷口氏一団と菊川氏とでぶらぶらする。18時近くなって町へ行っていた連中がみんな帰ってきた。イズビニーチェの岩根氏はビールをたくさん買っていた。彼らは19:55の列車に乗らなければならないので荷物の整理を始める。が、19時を過ぎてしまってまだホテルを出ない。歩くと40分くらいはかかってしまうのだが大丈夫だろうか?タクシーももう頼めないらしい。しかたなく彼らは歩いていくことにしたらしい。ただダスビダーニアの杉原氏はまだねばっていてタクシーを頼んでいたが結局歩いて行ってしまった。みんなとは成田で会う約束をして本当にダスビダーニアである。

その後、朝会った須山氏とともにレストランへ行く。彼は21時ごろに出発するハバロフスク行きの列車なのでまだ時間があった。彼はタクシーを頼めたらしい。1階の食堂へ行きビーフストロガノフを食べる。うまい!うまい!うまい!20時に須山氏は行ってしまった。(食堂であのトランスファーをつけていた3人組と会った。彼らは19:30にタクシーで駅へ行った)
部屋に戻り、今日は私が先に風呂に入って、23時ころまで日記を書いた。日名子氏は23時前に寝てしまった。私もそのうち寝た。

 

 

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