イルクーツクに到着 |
モスクワ時間3:30起床。〜4:15まで身支度を整えてシャツを白いものに着替える。車内は暑いので薄いものに着替えたのだ。またアルメニア人たちのコンパートメントへ行ってみるとなんと子供がいる。6才の女の子だ。この子の写真を撮って帰ってくる。隣のコンパートメントの人に昨日貸したロシア語辞典を返してもらったが、カバーが無いのでアルメニア人の所へ行くが、こいつはどうもカバーを捨ててしまったらしい。この野郎! そのうち、列車はペトロフスキーザヴォートに停車する。7:20にはウランウデに到着。ホームへ降りる。駅舎の写真を撮ったり、日吉の人(杉原氏)に車輛の下にもぐってもらって写真を撮った。ここの気温が-8℃。 |
ウランウデ駅 -8℃ ハバロフスクから48時間。
列車は動き出す。デッキでアレクセイにコスモスというタバコをもらう。その後部屋に戻ってきて座っていると杉原氏がやってきて杉原氏と岩根氏と3人で中国の話をした。杉原氏は広州、桂林、西安、蘭州等へ行ったことがあるらしく、岩根氏は海南島へ行ったらしい。この帝京大学の岩根氏の話によるとこの海南島はすばらしいところらしいが、そのうち開発が進んでいくだろうとのこと 〜9:00。その後もう一度アララトのところへ行って女の子と握手する。・・・・・・ |
〜ここからはイルクーツク時間〜
車掌さんはあっけにとられて行ってしまう。整理が済んだのでもう一度ナターシャさんのところへ行って住所の確認をした。あれ以来ナターシャさんとは話していなかったのだ。(通路ではしばしば出会っていたが) 20:00にイルクーツク駅に到着である。ホームにみんな降りていく。と、ホームにあのスコットランド人、そしてアルメニア人、そしてナターシャさんもいた。アルメニア人は相変わらず何だかんだ言っていてまた握手である。スコットランドの人ともお別れである。彼とは食堂車で良く会ったが落ち着いてゆっくり話すことができなかった。そしてナターシャさんであるが彼女もイルクーツクで降りたのだが、ホームで「ダスビダーニア」でお別れした。 |
ホームから階段を降りたところでロシア語ベラベラの人がみんなの切符を配って外へ出る。みんなタクシーでホテルへ行くらしいが私と日名子と杉原氏はホテルまで歩くことにした。ロマンシングアドベンチャーとしてはここで歩かねばならないのだ・・・・・・・・ 橋を渡る。下に流れているのはアンガラ川である。アンガラ川は凍っていない。水が流れている。インツーリストホテルは駅から赤く見えたので良く分かった。赤い看板を目標にして歩く。橋を渡ってすぐに階段を降りてここで杉原氏に写真を撮ってもらう。そしてアンガラ川沿いの道を歩いて途中でアンガラ川へ降りていくが、どうも私はよくひっくり返るので警戒しながら階段を降りる。対岸にはイルクーツク駅が見える。 川沿いの道をずーっと歩いていってホテルの前まで来たところでロシア人の母子が氷の滑り台で滑っていたので我々もチャレンジ。しかしスッテンコロリである。カメラは大丈夫だろうか?ここで少し遊んだ後やっとインツーリストホテルに入る。駅から1時間位かかってしまった。やはり歩いてきて正解だろう。フロントへ行きパスポートとバウチャーを見せてキーをもらう。部屋は613だ。明日パスポートを取りに来いと言われた。朝食は8:00〜10:00の間だそうだ。部屋に来てまず日名子に風呂に入ってもらい、私も入る。といってもシャワーonlyだが。。。。私はソ連で初めて風呂に入ることになる。さっぱりした。
その後下へ行って2階の食堂へ行き夕食を食べる。肉とサラダとミネラルウォーター等である。日名子は肉を残すし、なんてやつだ! ミネラルウォーターは変な味というか味が無いので砂糖を入れて飲んだ。杉原氏や中央大学の人達もいた。食べ終わる23時ころに後藤氏一行が来たがFinishと言われて駄目らしい。彼らはバーへ行ってきたそうだが、ここのホテルはバーもレストランも23時で終了である。私達もその後バーへ行こうとしたがもう閉まっていた。 |
イルクーツクのインツーリストホテルからアンガラ川。
川の向こうに見えるのがイルクーツク駅。