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シベリア鉄道の生活


<4日目>1989年2月12日(日)

モスクワ時間の1:00起床。みんなはまだ寝ている。1:40スコボロジノ着。セルゲーニさんはここで降りてしまった。我々もホームに降りるが寒い。その後歯を磨いてトニックをぬってタバコを吸って〜2:20。
3:30にはウルシャに到着。ここでも降りて写真を撮る。4、5人の日本人はパンを買いに行ったらしい。ここでは列車の下が凍ってしまい車掌さんが氷を棒でたたいていた。

ウルシャにいる間アレクセイが来て握手してすぐに行ってしまった。その後部屋に戻るが私のコンパートメントの3人はまだ寝ていた。私もしょーがなく寝る。〜5:40

アマザール駅  ハバロフスクから25時間。

5:40〜エロフェイパーブロビチに停車。6:30〜7:30に食堂車で昼食を食べる。本当に食べ物に困らない。毎回腹いっぱい食える。このときはボルシチとステーキを食べた。(イクラも)・・・・・7:41にはアマザールに停車、ここで列車の写真を写す。9:15にはモゴチャに停車、日吉の人と薄着で写真を写す。〜11:30まで寝る。・・・・・・・・

下が妙にガヤガヤとしてきた。人がいっぱいいる。いつのまにかトランプ場になっている。私はなかなか降りられない。やっとのことで降りて行き場が無いので、デッキへタバコを吸いに行く。寒い。また窓が凍り始めていた。タバコを吸っていると弁当売りの人が来て一緒にタバコを吸う。彼は弁当売りのアレクセイできのう会った人だ。彼にaddressを聞くが字がよく分からなかった。まだトランプをやっている。が、アレクセイは忙しいらしく、あとで部屋に来るとのこと。しかたなく隣のコンパートメントへ行っていろいろ話す。柏に住んでいる人がいて彼は市川北出身らしい。我々より1つ下で3人組で専門学校へ行っているらしい。千葉県の話で盛りあがった。

またデッキにタバコを吸いに行く。今度は青いトレーナーを着たおじいさんでアルボーゾフさんだ。彼はイルクーツクへいくとのこと。その後ようやくトランプが終わったらしいので部屋に戻る。とロシア人(男の人と女の人)がタバコを吸おう!と我々の部屋に来た。よろこんで私はデッキへ一緒に行く。帰りに写真を撮ってもらって住所を聞いた。彼女はイルクーツクに住んでいて名前はナターリア(ナターシャ)さんである。

その後日名子と一緒に食堂へ夕食を食いに行く。イクラと肉類を食って部屋に戻る途中にデッキで変なロシア人の集団につかまってしまう。アルメニアの人やウクライナの人やらでもうお祭り騒ぎである。このアルメニア人がちょっと危ないヤツでこいつにライターを取られてしまった。みんなで写真を撮って住所を聞いた。

日名子はつかまってしまい、私は逃げた。その後我々の部屋にアレクセイが来た。仕事が終わったのだろう。アレクセイにトランプを教えてもらおうとするがこの前のイーゴリさんに教えてもらったのと同じで良く分からないので日本のトランプを持ってきてババ抜きをやった。アレクセイはすぐにルールを覚えてしまい、なかなかできる。トランプの後一緒に写真を撮ってアレクセイは帰った。〜5:10。

その後我々のコンパートメントの連中は寝てしまったので、私はアララトのブランデー(ハバロフスクで買ったやつ)を持って他のコンパートメントに行った。このブランデーは好評でみるみるうちに無くなっていった。またアルメニア人達の部屋でも大騒ぎが始まっているらしく、行ってみるといろいろとご馳走してくれた。このアルメニア人達を連れてきてブランデーを飲ませた。このアルメニア人は一気に飲んでしまった。強い!そのうち、日本人のコンパートメントとロシア人のコンパートメントを行ったり来たりしていたが、そのうち寝た。

 

 
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