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ブハラ散歩


<30日目>1989年3月10日(金)

3:30起床。きのうは早く寝すぎてしまった。途中何度も目を覚ましたが、ここで起きたら昼間眠くなってしまう!と必死に寝た。来週の今日はもう日本にいるのだ。あと1週間である。また今日でちょうど1ヶ月目だ。シャワーを浴びようとしたがお湯が出ないので日記を書く〜6:15。そのうち少し暖かいお湯が出始めたので頭だけ洗うことにした。まだ体を洗うまでには暖かくないのである。8時になったので1人下へ行き朝食を食べる。日名子氏は置き手紙で起こさないでくれ!というのでそっとしておいた。帰りに2Fのカフェでлзлсиを2本買ってきて部屋で飲む。日名子氏がきのう買ったらしいパンを1つくれたので食べる。ブハラは昨日ほとんど町を見てしまったし、あと今日を入れて3日もあるからゆっくりできる。私はこの町が気に入ってしまった。のんびりするにはちょうどいい。

10時すぎにはメイドさん2人がやってくる。この人達がおもしろい。陽気なおばちゃんだ。きのう私がバザールで買ってきたわけの分からん緑色の粉を見つけて、これは煙草だ!と教えてくれた。口に入れるとフラフラするようなことを教えてくれた。それを一つまみ私の口に入れてくれた。辛い! そのうち私はそれを飲み込んでしまうが、おばちゃんたちは大笑いである。これは口に入れて3分位したら吐き捨てるものらしい。あ〜っ喉がヒリヒリしてきた。早速うがいをする。すごい刺激だ。10:30前には日名子と一緒に外へ出る。日名子はホテルの前の公園に入る。ここでベンチに座り煙草を吸いつつ今日どこへ行こうかと考える。

レーニン広場へ来て、ここでレーニンの写真を撮る。この公園は第2次大戦の戦士の墓みたいなものがあって火が燃えていた。ここからブハラ駅の方の新市街の方へ行ってプーシキン通りから旧市街に入り、チャル・ミナルのメドレセをめざす。途中学校らしき所があって校庭で子供達が遊んでいた。チャル・ミナルのメドレセを探してプーシキン通りを歩いていたのだがこれが見つからないうちにリャビハウズに来てしまった。ちょうど昨日来たところの反対側でクケリダシのメドレセがあった。ここで写真を撮る。あと見ていないのがウルグベクのメドレセとアブドラジス・ハーンのメドレセなのでこれを探す。タキ・テリパクフルシャンから上に向かいタキ・ザルガランに出て右へ曲がったところにウルグベクのメドレセがありました。これはガイドブックに書いてある通り中へは入れないらしい。このメドレセの所からタキ・ザルガランの方を見るとモスクが2つ見えて、カリヤンミナレットがドーンとそびえ立っているのが見えた。このウルグベクのメドレセの反対側のアブドラジス・ハーンのメドレセには入れるらしいのである。20コペイカだった。あの地球の歩き方のブハラの歴史のところにあった写真の所だ。周りを建物で囲まれていて広場みたいになっている。音楽がウルサイ! 何をやってんのかと思ったらカフェである。メドレセの中にこの古い建物を利用してカフェがあった。中は暗くて涼しい。ここでコーヒーを1杯注文して煙草を吸う。音楽が流れてくるが音が響いていてすごい。これはいいカフェを発見してしまった。また来なければ!

ここからタキ・ザルガランを通過し、カリヤンミナレットにまた来た。やはりここはブハラのレギスタン広場のような所だ。中央にはミナレットがあって両側にメドレセがある。1つのメドレセは今でもソ連に唯一残っているイスラムの神学校である。ミル・アラブのメドレセというものだ。何やらこの前で民族衣装を着た人達が大勢いて何やらやっていた。写真を撮っていると少年達が寄ってきたのでカメラをのぞかせてやった。望遠レンズを動かしてやったら驚いていたようだ。日本人だと言ったら、カラテ!だと。カラテは人気ものだ。

ここから、タキ・テリパクフルシャンを通ってこのタキの中の本屋でブハラの地図を買った。またあのマゴキ・アタリ寺院の前に来てこのブハラの地図を見る。英語でブハラの案内が書いてあったので一生懸命に読んだ。ここの公園はひじょーに気に入っている所で、本当に中世の世界にタイムスリップしてしまったようだ。ここで変なおっちゃんが話しかけてきていろいろ話すがこの人はちょっと危なそうなので逃げる。ラクダの所からウズベキスタンという映画館へ行ってみたがやってないらしい。映画なんか見るやつがいるのだろうか?

ここからプーシキン通りを歩きリャビ・ハウズに来た。餃子5つとチャイとヤキソバを注文して2Fの席で食べる。この2Fは椅子がベッドになっていてブハラのおっちゃん達がたくさんいて、何やら話しながらモクモク食べている。ピラフが食べたかったのだが今日はもうおしまいらしい。あー腹いっぱいだ。もう14時過ぎたので今日はホテルへ戻ろう。としたら日名子と会った。私もまたつきあうことにした。またヤキソバを食ってしまう。今日は下痢すること間違いなし。私はチャイを買ってきて下の席でブハラのおっちゃん達と相席になってゆっくりチャイを飲む。

私はここから帰ることにした。タキ・サラファンに出て、ソヴェーツカヤ通りを下り、ブホロホテルに帰ってきた。15時ころだったろうか?16時には日名子も帰ってきた。日名子は町の床屋へ行ったらしい。変な髪形になっていた。1ルーブルだそうだ。私も明日行くか! ペプシを買ってきて飲む。はやり腹の調子がおかしい。食いすぎである。下痢である。

その後20時ころまでブラブラしていて、寝ようとしたのだが寝れない。日名子が外貨バーへ行きたがっているので行くことにした。が、外貨バーには誰もいない。しょーがなく2Fのカフェに行ってビールはあるか?と聞いたが無いらしい。この人は外貨バーへ連れて行ってくれたが、やはりバーはやっていないとのことだ。ここで日本人と知り合う。彼は今日ブハラに着いたらしい。大阪の人だ。関西外語大の2年生で英語を専攻しているとのこと。やたらとトラブルが多くて困っているらしかった。今後の日程を聞いてみたらなんと新潟まで我々と一緒だった。日本を出た日も我々と同じだったらしい。いかにも関西人みたいな人でおもしろそうな人だ。それにしても話を聞いているとかわいそうな人だ。我々は今まで運が良かったのだ。21時近くなったのでカフェを出て部屋に戻ってきた。寝ようとしたが、またさっきコーラを飲んでしまい、下痢悪化である。セイロガンを唾で飲んで寝た。

 

 
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