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婦人の日


<28日目>1989年3月8日(水)

きのう少々遅く寝たので今日は7時起床。歯を磨いて頭をなおしてから、7:30〜8:40まできのうの分の日記を書く。このボールペンはどうもインクの出が悪い。今日は祝日なので我々もゆっくりと過ごすことにしよう。きのうの変な女の人とは一緒に朝食を食べたくないので少し時間を遅らせて下へ行く。9時近かったろうか?レストランへ行ってみたらあの人はいた。しかし一緒の席にはならなかった。今日はパンが1つしかなかったので半分ずつにして日名子と食べる。このパンがうまい。最近このパンが好きになってしまった。焼きたてのやつなんか最高だ。食べ終わって部屋に戻り少しゆっくりする。町中ではもう見るところはほとんどないし、しいていえばレギスタン広場からペンジケントスカヤ通りを行った所に少々墓みたいなのがあるのを見に行ってあとはあの一番最初に行ったウルグベク天文台へ行ってあの人に会わねばならない。しかし今日は婦人の日で祝日だ。あの人はいるのだろうか?今日もあまり天気は良くない。きのうの夜ずいぶん雨が降ったみたいで道路はベチャベチャである。サマルカンドでは外へ出かけるたびに靴は泥だらけ。ズボンも汚れてしまう。
11時にホテルを出て、そのまだ見ていなかった廟へ行くことにした。日名子も行くらしいので一緒に行くことにした。レギスタン広場からペンジケントスカヤ通りに入り、ドロドロの道を歩く。地図によると2つ目の交差点を右に曲がるとあるらしいのだが我々は1つ目を曲がってしまった。ここの通りにはカフェやらマガジーンやらけっこう店があって賑わっていた。シシカバブーもやっていた。が、今日は朝食をけっこう食べてしまったし、その後きのう残した鳥の肉も食ったし、もう腹いっぱいだった。次の交差点を左に曲がってここらにあるはずなのだが、それらしきものは見当たらない。地図とちょっと違った所に何やらでかいものがあったので入っていく。どうもこれがその墓らしい。かなりでかいもので、もうずいぶん崩れてはいたが昨日のシャフリサブスの宮殿よりはしっかりしている。もちろんあれよりはひとまわり小さいが。。。。。

ここは全然人がいなくて、観光地にはなっていないようだ。写真を撮ろうとしたがここでカメラの電池が無くなってしまった。フィルムが巻かれない。これじゃしょーがないのでここの墓を見終わったらいったんホテルに戻ることにしよう。日名子氏はどうするか聞いてみたがどうも彼は頭が痛いらしい。今日はこれからホテルに戻って寝ると言っていた。このでかい墓の隣にもう1つの墓があったので立ち寄る。ここはサマルカンドの人達の墓地みたいで、墓参りに来ている人もいた。こちらの墓は墓石に故人の顔が描かれている。またレギスタン広場に戻りホテルに行く。〜13:00。 帰りにレギスタン広場の前でアイスを買って食べる。相変わらず日名子はアイスを食べるのだけは早い。ホテルに戻って来てカメラの電池を入れ替えて、いざ天文台へ出発である。日名子はベッドで寝る。(13:20)

レギスタン広場へ来てみて、だんだん天気が良くなってきたのでまたここのメドレセの写真を撮る。カメラの電池は交換したのでひじょーにシャッターが早くきれる。今までの電池で撮った写真は大丈夫だろうか?シャッタースピードが遅れたりしていないだろうかと思ってしまうほどカチャカチャと撮れる。広場からタシケントスカヤ通りに向かい、ビビハニムモスクへ到着。バザールは今日もやっているようだ。更に北東へ向かう。でかい交差点に出てここから右へ行くとシャーヒジンダ廟でまっすぐ行くとアフラシャブの丘を越えてウルグベクの天文台へとつながっている。私はまっすぐ行く。もう14時を過ぎていただろうか。バスで行ったときはあっという間に着いたのだが歩いて行くとさすがに遠い。この道に入ると急に人通りが寂しくなってきた。そのうち道の両側に墓が出てきて芝生の丘が続く。きれいなところだ。ここらへんがアフラシャブの丘だろう。古代サマルカンドのあったところだ。ここはジンギスカンに滅ぼされてしまったのだ。 少々行った所に考古学博物館があったがやっていないらしいのでここから丘の上へと登ってみる。遠くにビビハニムモスクの残骸が見えた。もうこんなに歩いてきてしまったのか! 考古学博物館のところでベンチに座り、煙草を1本吸って一休みである。

アフラシャブの丘

チンギス・ハーンによって町が破壊されるまではここにサマルカンドの町があった

サマルカンドは本当に鳥の多い町だ。ほとんどカラスだが、ときたま白い模様の入った鳥がいる。朝ホテルから空を見ると空一面に鳥が飛んでいるのである。
再び歩き出す。丘を越えて川を渡り少し行ってやっと天文台に到着しました。2時間近くかかってしまった。さっそく階段を登り天文台へ行く。ここのベンチでも一服しているとおばさんが来て、ヤポーニヤダ?ときた。ダーダーである。ムーゼイの中に入ってみるがあのこの前の女の人はいなかった。やはり今日は婦人の日でお休みなのだろう。それともあの人はここの人ではないのだろうか?

しょーがないからホテルに帰ることにした。帰り道はいつものように早い。1時間くらいでホテルに帰ってきてしまった。途中レギスタン広場でコークを買ってきた。日名子は本を読んでいた。ここサマルカンドではキャノンが良く知られている。私が写真を撮っていると、近寄ってきてキャノン、キャノンと言っている人がいる。今日も天文台へ行く途中にレギスタンで写真を撮っていたら、キャノンおじさんがいた。今日は疲れた。足の裏が痛い。部屋でゆっくり休もうとベッドに横になっていると日名子がウドンを食いに行こうと言い出した。こいつは3食ちゃんと食べないと気がすまないらしい。かといってそんなに食べないのだ。

17:30にホテルを出て、レギスタン広場の横のウドン屋へ行く。ここで2人で2つずつウドンを注文したら店の人がずいぶん驚いていた。こちらの人は小食のようだ。来るときに日名子は「帰りに鳥を買ってこよう」などと言っていたがウドンで腹いっぱいになったらしく鳥は買わなかった。〜18:30

19:30ぐらいになって眠くなってきたので、寝ようとしたがなかなか寝付かれない。しょーがない!バーへ行くことにした。バーは地下にある。外貨バーへ行くのは久しぶりだ。行ってみたが入口に鍵がかかっていて入れない。フロントで何か飲みたいと言ったらバーへいけ!という。もう一回いくと何故か開いていた。ハイネケンを4本注文する。ビールが飲める。私はコップに注いで一気に2本飲んでしまう。うまい。日名子は2、3口なめて変な顔をして「なんでこんなのを飲むのか分からない!」などと変なことを言ってテレビを見ている。私はもう1本は部屋にもって帰ることにしてフショーだ。1000円だった。けっきょく日名子は1本まるまる残してしまった。もったいないことだ。このバーで1000円札と500円玉を交換してやった。500円玉が8枚も来た。部屋へ戻ってきてもう1本飲んで寝た。

 

 
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