シャフリサブス |
6:15起床。〜6:45シャワー&歯。7:00〜7:50日記を書く。今回の作戦も残すところあと10日あまりとなってしまいました。今日は多分千葉県公立高校の合格発表の日だと思うが、榎田氏は多分だいじょーぶであろう。ここにきて少し気がゆるんでしまった。そもそも初日にへんなツアーに参加してしまい市内を全部見てしまったので歩く必要がなくなってしまったのがいけない。全然歩かないので足が筋肉痛になってしまった。。。。逆に考えれば初日に市内を全部見ることができたのでペンジケントや今日のシャフリサブスへ行けることができて良かったのかもしれない。 今日は9:30出発なので8:15には下へ行き朝食を食べる。日本人と相席になった。この女の人はおばさんなのか若いのか検討のつかない人で中央アジアを主に来たらしい。これからブハラ、ウルゲンチとまわって帰るらしい。さっさと先に食べて荷物を取りに行き下のロビーで時間がくるまで待つ。私は外へ煙草を吸いに行ったが子供が寄ってきてパンをくれだのなんだのと、うるさいのでロビーに戻ってくる。 今日行くシャフリサブスはサマルカンドと同じウズベク共和国にあるのだが昨日のペンジケントより遠く、南に向かいあのゼラフシャン山脈を越えた向こう側なのだ。山道を走るのである。シャフリサブスはチムールの生まれたところでいうなればチムールの田舎だ。従ってチムールはこのシャフリサブスにもの凄くでかい宮殿を造ったらしいが今日それを見に行くのだ。チムールの家族の墓もあるらしい。モスクもあるとのこと。もちろんバザールもある。。。。9:30まで少々時間があったので日名子はロビーで寝ていた。そのうち昨日のガイドさん登場! このガイドさんとは3日間行動を共にすることになった。車に行くとドライバーも昨日のおっちゃんだ。9:30過ぎに出発である。 レギスタン広場のところを右に曲がり南のゼラフシャン山脈へと車は走る。山の向こうは雲があってどうもあまり天気は良くないようだ。この車今回はスピードメーターがちゃんと動いている。120km/hくらいで飛ばす。日名子氏はどうも疲れているようで車の中で寝ている。。。。。1時間くらい走ってちょうど峠に来た。ここで車は止まり外に出してくれるらしい。この峠は標高1700mちょいであまり高くはない。が寒い。周りの山には上から下まで雪に覆われている。さああとはこの山道を下っていけばもうシャフリサブスである。途中峠から少し下った所で再び車が止まった。変な泉があってここの水を飲むと若くなれるらしい。ここで3人で写真を撮る。ここから山の下が良く見えて、ガイドさんがあの向こうがシャフリサブスであることを教えてくれた。山道を下って再び車は猛スピードでぶっとばす。 |
シャフリサブスへ行く
標高約1700m
1時間半くらいでシャフリサブスについた。11時ころだ。ついた所はその宮殿跡だ。でっかい建物が2つあったがこれは高さ40m近いもので話によるとこれは宮殿の入口でアーチ型になっていたのだが地震で崩れてしまい2つに別れてしまったらしい。窓もついていたが今は鳥の巣になってしまっている。青い色の装飾は少し残っていた。コーランからとってきたアラビア文字が書かれている。チムールは本当は自分の墓をここに作りたかったのだが、中国遠征で死んだときちょうど冬でゼラフシャン山脈を越えられずサマルカンドに葬られてしまったらしい。宮殿はすごくでかかったらしいが今はこの入口の門しか残っていない。この門だけ見ても宮殿がいかに大きかったかは想像がつく。この宮殿の名前はアクサライといってハーレムだったそうだ。。。 |
これはアクサライの入口の門であるが地震で崩れてしまった
今は門しか残っていない
シャフリサブスはチムールの生まれた所だったので彼はここに中央アジア最大の宮殿を作った
ホテルに立ち寄り昼食の予約をして次にモスクへと向かう。途中バザールがあった。今日はビッグバザールらしい。何しろ明日は婦人の日で祝日なので男どもは今日プレゼントを用意しなければならないのだ。。。モスクに入るとまずでかい木があった。神木みたいなもので300年はたっているらしい。変な形の木だった。その右側に建物があったが閉まっていて一般人は入れないらしい。ここは現在も使われているところで、金曜日になると信者が来てお祈りをするとのことだ。そういえばカシュガルでもお祈りは金曜日であった。井戸があってここで体を清めてから中に入ってお祈りをするらしい。奥には墓があってチムールの長男の墓があった。鳥の巣になっていたので墓の上には鳥の糞よけがあった。。。。ここの扉の写真を撮っておいた方がいいとガイドに言われた。っと、その前にもう1つのモスクに立ち寄ったのを忘れていた。ここのモスクはまだちゃんと青色が残っていたのだ。中にはメドレセ(神学校)跡があって、昔はここで生活してここで勉強したらしい。1部屋に2人づつ入って毎日コーランの勉強をしたのだ。青くないでかい方のモスクに入ったらここにはチムールの親父の墓があった。どでかい棺桶だ。その奥にもチムールの家族らしき墓がありその手前にはこの石に触ってお祈りをしたらしいものがあってあんまりみんながこすったので石が削られてしまっていた。我々もその石に触れてみる。2つのモスクを見学した後バザールへ行った。時間は30分。人はたくさん出ていたがあまりおもしろくなかったと日名子は言っていた。ここで2人でケーキを買った。ガイドさんはデパートにショッピングへ行ってしまった。車に乗り昼食を食べるためにホテルへ行くのかと思ったがホテルの前のデパートに10分くらい寄るらしい。バイクが1500ルーブルぐらいで売っていた。洋服とかばかり売っている所であまりおもしろいものはなかったが、ガイドさんはショッピングを楽しんでいるようだった。日名子はサッサとデパートを出てどこかへ行ってしまいガイドさんと私で探したが変なところから出てきた。さあ昼飯だ。我々はピラフが食いたいとさっきいっておいたので今日はピラフが食える。ホテルのレストランに入るとみんなが我々をジロジロと見る。外国人はめずらしいのだろう。このパンがうまい。ウドンも出てきたしイクラもあった最後にピラフが出てきた。ピラフは100種類くらいあって、サマルカンド風、ペンジケント風、シャフリサブス風、タシケント風というようにその土地、土地で違うらしい。うまい。 このガイドさんの住所を聞いた。写真を送るためだ。10才になる息子がいてホッケーをやっているらしい。彼女はサマルカンドの大学で英語とフランス語を勉強してこんなにしゃべれるようになったらしい。やはり結婚していたのだ。。。。 |
古い戸らしい
昼食が終わったのが13:50.雨がパラパラとふっているが話によると婦人の日は女の人が泣くので雨の日が多いという。本当に雨がふってきた。どうもサマルカンド後半は天気が期待できないので早めに市内を見ておいて正解だった。14時には車に乗りサマルカンドに帰る。我々は疲れているのかすぐに寝てしまった。途中工事で車が止まったときに目が覚めたが再び寝てしまう。峠を越えて山の北側に来たところで車は止まりドライバーとガイドさんがどこかへ行ってしまった。私は煙草を吸う。。。。。
帰りは工事もあって2時間くらいかかってホテルに到着(16:00)。ロビーでAIRチケットとタクシーの申し込みをしたがあさっての7:00にモスクワへ行く団体がバスで空港へ行くらしいのでそれに混ぜてもらうことにした。トランスファーなどつけなくて正解である。部屋に戻ってきて休憩する。日名子は寝る。
<補足>
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