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ペンジケント


<26日目>1989年3月6日(月)

6時起床。風呂に入ろうとするがまたまたお湯が出ない。しょーがないからバクーからの2日分の日記をひたすら書き続ける。〜8:30。

今日も天気はよろしい。サマルカンドは町全体としてはカシュガルやトルファンよりは「シルクロード」といったイメージは劣る。馬車はあまり見かけないし、車はわんさか走っている。が遺跡1つ1つは比べ物にならないほどすごい。ビビハニムモスクやレギスタン広場のメドレセなどは本当に素晴らしい。

その後お湯が出始めたのでシャワーを浴びることができた。が、お湯と言ってもぬるま湯でひんやりする。〜8:50。
その間に日名子が起きた。今日はペンジケント半日ツアーへ参加するのでこれで1日つぶれるだろう。また英語のガイドだろうからペンジケントやソグド人に関することをあらかじめ知っておいたほうがいいので地球の歩き方に載っているペンジケントのところやソグド人についてのところを読む。出発は10時なのでもうあまり時間が無い。荷物を準備して下へ持っていってしまうことにして朝食を食べに行く。パンとケフィールと目玉焼きだ。〜9:45。

10時になったのでエクスカーションのところへ行ってみるとガイドさんは昨日市内観光をしてくれたガイドさんである。この人もよろしい。すぐに車に乗り込み出発である。ペンジケントはタジク共和国に属し、サマルカンドから約70km離れていてサマルカンドからはゼラフシャン川沿いにまっすぐ東へ向かった所にある。ペンジケントはソグド人の町で、ソグド人とは現在のタジク共和国の人々の先祖にあたる人達で紀元前8世紀からここペンジケントに町を作りシルクロードの貿易商隊として活躍したが、紀元後8世紀にアラブ人が侵入してきてほとんどこの古代ペンジケントの遺跡は壊され、ソグド人も滅んでしまった。ガイドさんの話によるとペンジケントまでは1時間くらいでつくらしい。途中車からは右側にゼラフシャン山脈が真っ白に雪に覆われていてきれいに見えた。40分くらい走ってタジク共和国に入る。ペンジケントとサマルカンドでは時差が1時間あるのだ。が、サマルカンド時間で統一することにする。本日のツアーの予定は、まず地元の美術館に行ってペンジケントのことやソグド人達の遺品、タジク共和国についての説明を聞きそれから古代ペンジケントの遺跡へ行きバザールに行って昼食を食べてサマルカンドへ帰るということらしい。
車は美術館の前で止まり、この女ガイドさんが美術館へ連れて行ってくれて地元の英語ガイドを紹介してくれてどこかへ行ってしまった。この男の人が今日ペンジケントをガイドしてくれるらしい。この美術館は全部で7つのホールがあってすべて英語で説明してくれた。

まずタジク共和国にいる動物等のホールへ行く。魚やヘビそして鳥、熊、野生の猫、これがすごい。猪やウサギそれに狼など、まあいろんな動物がいるもんだ。タジク共和国は山ばかりの国でもうパミール高原はすぐそこで隣は中国の新疆ウイグル自治区だ。カシュガルはすぐ向こうにあるのだ。次にソグド人の遺跡品みたいなものがあった。ペンジケントの人達が昔水を得るためにゼラフシャン山脈から水道管を使って水を引いたときの水道管や、お金、ナイフやブレスレッド等があった。イスマイルサマニに関するものが展示されている部屋もあった。ブハラにはイスマイルサマニ廟というものがあるが、我々はこの後ブハラへ行くのだ。古代ソグド人の服装の絵や軍人達の軍服の絵もあった。ペンジケントの遺跡で発見された壁画のコピーもあった。本物はレニングラードのエルミタージュにあるらしいのだが私はエルミタージュで中央アジア館に入ることができなかったのだ。最後に、ここペンジケントの産業みたいなもののホールに来て、ここタジク共和国では煙草の生産がすごくてペンジケントで煙草を作り、首都ドゥシャンベで加工されるらしい。そしてソ連全土に送られているとのこと。あのコスモスもここで作られているらしいのだ。この美術館には有名な人達が多数来ていて例えばカールマルクスのGreat Grand Sonも来ているという。なんだかんだ1時間近くかかってこの美術館を見学した。

タジク共和国のペンジケントへ

ペンジケントの美術館

次にこのガイドさんと一緒に車に乗りペンジケントの遺跡(町跡)を見に行った。少し高い丘の上にあり、新市街が見渡せた。その向こうには煙草を栽培している畑があり、その向こうにはゼラフシャン川が流れ向かいには山があった。このペンジケント遺跡は3つに別れていて宮殿とメインCity、それに町の外の農園だ。それにソグド人達が信仰していたゾロアスターの寺院も2つあったらしい。説明を聞いて中へ入っていく。雪が多く残っていて道がぬかるんでいて歩きにくい。靴はベチャベチャである。ゼラフシャン山脈がすごくきれいだったのだがちょうど逆光でまぶしくてはっきりと見えなかった。サングラスを部屋においてきてしまったのだ。。。。なんだかあのトルファンの故城を思い出すような景色である。あの時もこのような故城があって天山山脈が見えたのだ。トルファンのと比べるとトルファンの故城の方がまだきれいに残っていたし大きかったような気がする。まあこちらのペンジケントの方が古いし8世紀にはすでに町は壊されてしまっているのだから単純比較はできない。丘の向こうには羊がいて丘には雪があってまるで立山の室堂みたいだ。帰りにこのガイドさんがひっくり返ってしまった。

ペンジケント遺跡

ソグド人の町だったが8世紀にアラブ人、
13世紀にチンギス・ハーンが侵入し、滅んでしまった

次にペンジケントのバザールに行った。ここのバザールはサマルカンドのそれと比べると小さいがここのおばちゃんは人懐っこくておもしろい。ここにもキムチがあったので買ってみた。日名子はあのトルファン帽子みたいなものを買っていた。私は青いチョッキらしいものを20ルーブルで買う。今日はバザールの日ではないので人はあまり多くはなかった。バザールは昨日(日曜日)だったのだ。きのうのサマルカンドはすごい人出だったのだ。昨日のサマルカンドはすごい人出だったのでここもすごかったのだろう。

13時になったので昼食を食べるためにレストランへ行った。ここにあのサマルカンドの女のガイドさんがいた。ずっとここで待っていたのであろうか? ウドンみたいなやつとパンにクリームをぬって食べるヤツとギョーザの親戚みたいなヤツと地元のワインである。1時間くらいかけてゆっくり食べた。我々は5週間の旅行をしていることや昨日のガイドさん(荒井さん)のことや、いろいろ話した。あのおばさんは20年もソ連に来ていてロシア語ペラペラでこのペンジケントの男のガイドさんも知っていた。日本人は4月ころからたくさんサマルカンドに来るらしい。サマルカンドに来てペンジケントに寄るのがパターンらしい。が、昨日のツアーの連中はペンジケントに来る予定だったらしいが拒否したとのこと。何を考えているんじゃい! この女のガイドさんは地元の言葉とロシア語、それに英語とフランス語が話せるらしい。すごいのう! お母さんがキエフの人だそうだ。ウクライナの言葉も話せるみたいだ。日本語も少し(ほんの少し)わかる。やはり中央アジアには日本人が多いのだ。

14時には出発する。レストランのお金を払うときに2人で10ルーブルだったので50ルーブル札を払おうとするとどうもこれはルーブルではないらしい。よく見るとユーゴスラビアのお金だ。ベオグラードとか書いてある。ショック! 私はもうルーブルがないではないか! あのレニングラードのヤツにだまされた!。。。。

帰りのタクシーでは寝てしまった。15時にホテルに到着。暑くなってきたので部屋に入って休憩である。。。。。サマルカンドには本当に雪が残っている。昼間はあんなに暑くなるのに融けないのだろうか? ガイドさんの話では今年の冬は寒くて−20℃ぐらいになって雪もたくさん降ったそうだ。

夕食を外で食べることにして、17:30まで部屋にいる。日名子は寝た。17:30から外へ出る。レギスタン広場へ行ってタシケントスカヤ通りの方へ行ってみるがレストランらしきものは見当たらない。レギスタン広場の近くのパン屋(屋台)で中に肉の入ったパンをただで食わせてもらい、おまけに煙草までもらってしまう。もう腹いっぱいである。帰りにレギスタン広場に寄って帰ってきた。19時近かった。〜19:30までシャワーを浴びて21時過ぎには寝た。

<補足>
外に出かける前にフロントで明日のエクスカーションである、シャフリサブスのツアーを申し込んだ。1万7千円だ。明日しか行けないのだ。あさっては婦人の日で祝日なのである。

 

 
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