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サマルカンド市内観光


<25日目>1989年3月5日(日)

8階のロビーのフロントのおばちゃんが電話してくれてタクシーが来たらしいので下へ行け!というので下へ行く。荷物が重い!玄関には相変わらず兵隊が1人いる。パスポート係の女の人ともう1人男の人が外まできてくれてタクシーを探してくれる。0時ちょうど(予約時間通り)にタクシーが来た。このタクシーの運転手はやたらとロシア語をしゃべっている。おもしろいおっちゃんだ。ガスガスといってガソリンスタンドへ行ってしまう。まだ飛行機の出発まで3時間もあるのだ。今夜も検問があったがこのまえほどではない。でも5、6ヶ所あっただろうか?

0:40には空港に到着。このドライバーに25ルーブルやってしまってフショーである。ルーブルはさっさと使ってしまおう。空港には人がたくさんいた。が外国人はどうも我々だけらしい。インツーリストの部屋に案内されてバーみたいなところへ入る。ここが待合室らしい。まだまだ時間があるので、ここで待つ。。。。

<ここからモスクワ時間>
ここのおっちゃんと英語で話す。友人が東京にいて2年前にバクーに来たらしい。その人は服をつくっている工場で働いているらしいが会社名を忘れてしまったらしい。。。。日名子は寝ている。私はしばしば外へ行き煙草を吸う。みんながジロジロ見る。もう見られ慣れてしまった。。。。荷物を預けて再びこの部屋でブラブラする。このおっちゃんペンが欲しいらしいが、ペンは私にとっても貴重品である。I don't haveと言ったらがっかりしていた。そしてLet's goである。Check inだ(1:20)。1:40には飛行機に乗り込んだ。このスチュワーデスさんもよろしい。我々は4列目の席だった。2時には離陸した(現地時間3時)。しばらく眠れなかったが1時間半くらい寝ただろうか?4時(現地時間6時)にはサマルカンドに着陸である。先におろさしてもらい外に出てみんなとは違う方向へ連れて行かれる。三日月がすごくきれいで幻想的だ。バクーより寒い。朝夜は冷え込むのだろう。雪も結構残っている。こんなに雪を見たのはムルマンスク以来だ。タクシーがやって来て乗せてもらった。これじゃトランスファーをつけているのと同じだ。ホテルにはすぐについた。空港はあまり遠くないらしい。

6:40サマルカンドホテルに到着。あまり大きくないホテルだ。入ると女の人がニコニコしながら案内してくれた。今日日本の段観客が市内観光するのでこれに加わるかどうか聞いてきたがまぁ試しに加わってみようということになり、それから8:30には朝食らしい。まだ6:50なので少々時間がある。日名子は寝てしまった。私はベランダに出て外の景色をながめる。南側に雪山が見えた。あの山の向こうはタジク共和国だ。この前地震のあったドゥシャンベである。サマルカンドは大丈夫だったのだ。

午前4時、サマルカンド着
ホテルからザラフシャン山脈

8:15には日名子を起こし、荷物を準備して朝食を食べに行く。コートと荷物を預けて食堂(レストラン)へ行く。朝食はビュッフェ形式ではない! この人達と一緒の席になってしまった。ショック! それにしてもこの団体は若いやつばかりではないか! 話によるとみんな大学生らしい。(大学生に見えないやつも2、3人いたが。。) 9:30にはロビーに集合して市内観光へ行くらしい。それまで外で煙草を吸っている。今日は本当にいい天気だ。雲が1つもない。朝は寒かったがだんだん暖かくなってきた。ここは砂漠の町なのだ! バスに乗り込み最初の目的地ウルグベク天文台へと向かう。途中レギスタン広場の前を通り、ビビハニムモスクの前も通り、小高い丘に登ってアフラシャブ丘を越えて天文台にやってまいりました。ここは丘の上なので見晴らしが素晴らしい。あの雪山も見えるし町も良く見えた。ガイドさんがロシア語でガイドして、この添乗員おばさんが日本語に訳しているが我々はまったく無視して地元の子供達と遊ぶ。ツアーの人達はみんなガイドさんが話しているのを聞いて感心しているがガイドのしゃべっていることはみんな私の知っていることだ。たいしたことをしゃべっているわけではない。私も2年前そうだったが、ツアーに参加してしまうと何にも調べずに来てしまうのだ。逆に我々のような個人旅行者は本を見て調べたあげく、ここに来ようと決めたのでもうあとは町を見るだけでいいのだ。。。

ウルグ・ベクの天文台

ここの子供達は人みしりしなくてよい。一緒に写真を撮ったり名前を聞いたりした。資料館の中に入っても我々は中の受付の女の人と写真を撮り、住所を聞いている間にみんなは中の資料を見終わってしまっていた。我々も急いで見渡す。

次に行ったのがシャーヒジンダ廟である。ここにはチムール一族の女の人達の墓があるらしい。階段を登り奥へ進んでいく。壁の青色がもの凄くきれいだ。奥にはモスクもあった。地元の人や観光客やらで人だらけである。日名子はこの人の多さにうんざりしたようで、これではは神聖な気分になれないからシャフリサブスへ行こうと言っていた。帰ってきて右側の方へ登っていきここからモスクがきれいに見えたので写真を撮る。この右側の奥には墓があって人がいて墓を掘っていた。葬式でもやっていたのか? 日名子はどんどん奥に行ってしまった。ここが気に入ったらしい。(〜1:30)

シャーヒ・ジンダ廟

午前中に最後に行ったのがビビハニムモスクである。ここは中央アジア最大のモスクらしいが19世紀の大地震でほとんど崩れてしまっていた。本当にでかい。でかい。奥に超どでかいモスクがさんぜんと輝いていた。これも青色ですごくきれいだった。我々はここで1人の少年と出会いモスクの上まで連れて行ってもらった。私は荷物をたくさん持っていたので引き返してきたが日名子は頂上まで登っていた。途中へんなおっちゃんに怒鳴られた。工事のための階段やらを登った。おちれば間違いなく死ぬだろう。

ビビ・ハニムモスク

とてつもなく大きい。下の人間と比べてみましょう。

ビビハニムモスクを出てきてバザールに行く。でかいバザールだ。食料品が主でキムチやリンゴ、玉ねぎ、鶏、その他いろいろあった。途中日名子に会い、リンゴを買った。その場で食べる。。帰りにバスの中でガイドさんがバザールで買ったフルーツはすぐに食べないで必ず洗うようにとか言っていたがもう遅い。。。12:45ホテルに戻ってくる。13:00から昼食らしい。この昼食でとうとうピラフが出てまいりました。米が固くてうまい。少々油が多かった気もするが。。。

彼らは19人でみんな大学生。男は5、6人しかいなくて、北京から入ってきてイルクーツク、サマルカンド。これからタシケント、トビリシ、レニングラード、モスクワとまわるらしく19日間で36万円だそうだ。我々の悪行をいろいろ話してやった。彼らはツアーなので自由時間がほとんど無く町中へはあまり出歩いていないらしい。だいたいみんな贅沢している。出てくるジュース(ソーク)はまずいといって飲まない。飲んだのは私と日名子だけだ。2年前の自分を思い出す。14:30再出発だ。ホテルの前で少年達がペンを欲しがっている。私はパイプしかない。

まず行ったのが、グルエミル廟。これはチムールの墓だ。チムールが孫のために作ったものだが、チムールが中国遠征で死んでしまい、ここに葬られてしまったのだ。ここのモスクもきれいだ。が中に入ってみると、この内装がすばらしい。金箔でキラキラしている。ここで使われた金は全部で3kgにもなるそうだ。三脚を使って写真を撮る。外からも写真を撮ろうとしたがフィルムが無くなってしまい時間も無いのでバスに乗り込む。最後に行った所がレギスタン広場である。ここでは音と光の祭典というのが行われるらしいのだがどうも夏の間だけらしい。この広場にある3つのメドレセがこれまたでかくてすごい。神学校だったらしい。ガイドが中央で説明しているので写真が撮れない。説明が終わってみんなが去った後、このメドレセの写真をとりまくる。日本に帰ってきて拡大する写真を撮らなくてはならない。。。

グル・ミエル廟
ここで使われた金は約30kg

サマルカンドの中心にある、レギスタン広場

金色のメドレセの方へ行き、中に入る。ここも中の装飾が見事だ。三脚で写真を撮る。すると女の人3人がいて日名子が、今写真を撮っているから待ってくれ!と止めていた。この3人とロシア語で話す。日名子が適当なことばかり言っていて私は子供が3人もいることになってしまったではないか!日名子め! この人達も陽気でおもしろい。5人で写真を撮って住所を聞いた。

その後レギスタン広場で日名子と別れて私は16時ごろホテルに戻ってきてしまう。風呂に入ろうとしたがお湯が出てこない。着替えて17時に下へ行き明日のペンジケント作戦の金を支払い、カフェに行きコークを2本買って部屋に戻ってくる。18時ころ日名子は帰ってきた。またあのシャーヒジンダの墓地の所まで行ってきたらしい。19時には下のレストランへ行った。我々の分が残されていた。どうも夕食もあのツアーの連中と一緒にされていたらしい。ウドンだった。うまかった。これだけでは足りないので肉を注文し昼食と全部あわせて18ルーブルだった。よしよしルーブルが減ってよろしい。
部屋に戻ってきて20:30ころには寝てしまった。

 

 
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