←前のページへ トップページ 次のページへ→
旧市街


<24日目>1989年3月4日(土)

4時起床。まだ真っ暗である。昨日は早く寝すぎてしまった。いやこれも作戦のうちなのだ。今日早く起きれば今夜寝ることができ、夜中飛行機の中で少しでも寝れれば明日サマルカンド第1日目がうまくスタートできる。シャワーを浴びて日記を書く。

6:30になって少し眠くなってしまい寝てしまう。8時には起きる。8:30ごろ朝食を食べるために1Fへエレベータでおりていくと後ろからあの昨日の青年が来た。手に何やらもっている。あれがスビニールか?私はめしを食いに行くことを告げて別れる。彼はよくホテルに入れたなあ! 昨日朝食で食べたところはどうも違っていたらしい。1Fの右奥の階段を登ったところにちゃ〜んとビュッフェ形式のところがありました。しかし品数が少ない。なんだか旅の後半になって食生活が乏しくなってきた。食べ終わってすぐに日名子のところへ行き日名子を起こし、下に少年がいることを伝えて私は自分の部屋812に戻る。日名子は朝食を食べに行ったが混んでいたらしくそのまま少年のところへ行きお土産をもらってきた。アンプもあったらしいが断ったらしい。アンプなんかもらってもしょーがないではないか。日名子が言うにはどうも今度は私に用があるらしい。お別れを言いたいということだ。しょーがないから下へ日名子と一緒に行く。外へ出るとこの少年なんと私にアンプをくれると言ってきかない。もしおまえがホテルに戻ってしまってもおれはここでずっと待っているというのだ。こんなものもらっても日本まで運んでいくことなどできない。私も断るのだがどうしても駄目だ。しょーがないから一応受け取っておくことにしてこの人の家へ送ることにした。ホテルの周りを散歩しようと言っていたが断りホテルのポストオフィスへ行って小包にしようとしたがここでは駄目らしい。ホテルのすぐ隣に郵便局があるらしいので行ってみる。少年に教わった住所を書いて出すがどうもファミリアがないらしい。これでは送ることができない。ったくしょーがないものをもらってしまった。こんなことをしていると今日は何もできなくなってしまうではないか!少年の家には送れないのでひとまずこのアンプを部屋に持っていき、我々はオイルフィールドへのツアーを申し込みにサービスビューローへ11時ころ行く。女の人が電話してくれたがなかなかガイドが見つからないらしい。おっとその前に今日の夜のタクシーを予約しておいた。30分くらい待ってくださいと言われ、我々はカフェでソークを飲んで待つ。ここにフランス人がいてジュースをサービスしてくれたりした。11:30になって行ってみるがまだ駄目で14:30まで待ってくれ!と言われたのでキャンセルすることにした。タクシーでもとっ捕まえて行くことにしよう。12過ぎにホテルを出る。

郵便局の前で白タクを探すがなかなか連れて行ってくれる車が見つからない。絵を書いたりしてやっと連れて行ってくれる人がいた。車はなんだか昨日の拝火教寺院の方向へ進むので、こりゃまた寺院へ連れて行かれるのかなぁ?と思っていたがどうやら途中で道が違ってきたのでちゃんとオイルフィールドに連れて行ってもらえそうだ。そのうち煙突から火が出ているのが見えてきた。ここから先は車は入れないらしくおろされて10ルーブル払う。ここから砂利道を歩いてオイルの方へ進む。まだずっと先にあるのだが音がすごい。まるで飛行機の音だ。日名子は先に行ってしまったが私は望遠レンズで写真を撮る。オイルの方向にはちょうど太陽があってまぶしいので私はサングラスをかける。近づくにつれてガスの噴出す音と燃える音が一段と凄くなってきた。日本でも工業地帯で時たま見かけたがこんな近くで見たのは初めてだ。辺りはオイルの匂いで凄い。バクーは石油の町なんだ!。。。。

バクーの油田

来た道を引き返しさっき車から降りた所でまた白タクを捕まえようとするがメトロで帰れ!と言われるのでメトロで行くことにした。メトロは橋を渡ったところにあったのだ。メトロの駅前に来るとまたいろんな店があった。シシカバブーを売っていたので行ってみる。ここの肉はモスクワと違って小さかった。肉をパンに挟んで食べるらしい。これがうまい。日名子は3つも食べていた。ちょうど昼メシだ。ソークも飲んでメトロに乗る。バクーのメトロには路線図がないのでさっぱりわからない。車両の中で男の人にアゼルバイジャンホテルの写真を見せて連れて行ってもらうことにした。私は4つ目でおりるのではないかと思っていたがやはりそうだった。この男の人は親切にもホテルの近くまで連れて来てくれた。感謝、感謝!

このままホテルに戻ってもしょうがないのでここから旧市街へ行くことにした。やはり旧市街の宮殿を見なくては! 旧市街へはメトロで行かれるらしいのでメトロを探すがなかなか見つからない。歩いていくことにした。途中26人のコミッサールに寄り町中の体重測りのところで体重も量った。日名子は73kg、私は85kg。日名子は5kgも太っていた。ここからへんな公園に出てここで少し休んでから旧市街へ向かう。ここであのヒゲのおじさんとまた会ってしまう。ここからすぐシェマハ門を見つけることができた。

このシェマハ門は東西の文化交流が行われていた当時、隊商や旅人たちは南北どちらに向かうにせよ、この門を通らねばならなかった所である。12〜14世紀に作られたものらしい。この門をくぐり、シルヴァン・シャフ汗の宮殿をめざして歩く。バクーではよくネコを見かける。ここ旧市街にもネコがたくさんいた。迷路みたいな道を途中おばちゃんに道を聞きながら宮殿に向かった。。。。

バクー旧市街の入口であるシェハマ門
12〜14世紀のもの

中に入るとまず変な文字みたいなものがたくさんあった。いままで見たこともないような変な文字だった。奥は鍵がかかっていてニェラーティェッドだった。あまり大きくはなかったが一応楽しめた。ここから海の方へ下りてきて昨日のチキンのカフェに入る。(その前に隣の煙草屋へ入ってパイプを買う)

またあのチキンを食べる。16:00〜16:20。海岸公園を歩いて16:40にはホテルに戻ってきた。8階のロビーに行ってここでミネラルジュースを買って飲み、私はさっさと1人で部屋に戻ってしまう。(17:00) 17:30ま風呂に入り寝てしまう。。。。。。

21:30には起きて、そのうち日名子が来た。最上階のバーへ行こうとしているのだ。私がタラタラしていると日名子は1人で行ってしまった。が、すぐに帰ってきてしまった。バーはあったらしいがみんな酒を飲んでいてどうも入りづらかったらしい。日名子らしいのう!23:30には部屋を出て8階のロビーでタクシーを待つ。。。

 

 
←前のページへ トップページ 次のページへ→