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ワット君


<23日目>1989年3月3日(金)

きのう4時近くに寝たにもかかわらず8時ごろ起きた。8時から朝食だったので意識していたが案の定起きることができた。目覚まし時計はなくなったが、まあやっていけそうだ。
8:30になったので2Fへ朝食を食べに行く。2Fのレストランである。バイキング形式ではない。あまり量は期待できない。やはりパンとバターとへんなやつでおわりである。ここバクーでは朝食の量が少ないので昼に食わねばならない。そのうち日名子氏もやってきた。彼としては早く起きたものだ。やはり1人で部屋にいると緊張するのだろう。食べ終わり、先に部屋に戻り地球の歩き方のバクーのところをちょん切って下へ行き、レセプションの所でバウチャーとチケットを見せたが向こうのサービスビューローへ行けと言われた。しかたなく行く。ここで見せたら10時に来いと言われた。あと30分なので先にオプショナルツアーを申し込むことにした。拝火教寺院である。10時と12時のツアーがあったが、10時のやつを申し込んだ。2人で8000円強も取られた。ショック! しかし英語のガイドさんはつくしまあいいだろう。
そのうちさっきの人に呼ばれて行ってみるとチケットを書いてくれるらしい。時間は5日の早朝1:55(モスクワ時間)だ。ゲッゲーン。明日はほとんど寝てられないではないか!結局バクーは事実上2泊2日ということになった。

そのうちガイドさん登場!若い女の人だ。少々太っている。我々はいったん部屋に戻り荷物を準備していざ出発である。10時にホテルを出る。タクシーに乗ってすぐにこのガイドさんが英語でいろいろ説明してくれた。よく分からなかったがバクーの石油の質の良さのこと。バクーはソ連全体の20%の石油を産出しているらしい。石油の種類や使い方について。あとはアゼルバイジャンの歴史や宗教、人種などについて。彼女はアルメニア人らしい。アゼルバイジャンはロシアとペルシャに支配されていたこと。それに拝火教についてである。拝火教の信者についても話してくれた。イランでは革命後、拝火教信者達がホメイニのもとからインドへ逃げていったことも話してくれた。まあこれだけたてつづけに英語を聞いたのは初めてだ。疲れた。

ゾロアスター教の総本山

彼女は日本語が少し話せる。(単語程度) 平仮名やカタカナは分かるらしい。日本の文化に興味があり日本語を勉強したが難しくてよくわからんとのことだ。名前はナイーラさんである。そのうち車は拝火教寺院に到着した。そんなに遠い所ではない。中に入るとあの写真と同じ建物があった。が、火はついていない。管理人みたいな人がガスを出してライターで火をつけてくれた。ここは昔火事になってしまい、今では人工的に火をつけているらしい。ここで3人そろって写真を撮る。ナイーラさんの住所を聞いて写真を送ることにした。

その後いろんな僧房の中に入り、拝火教についていろいろ説明してくれた。ガンジス川の聖水を入れるカップや昔のお金。当時の人達のビジネスの様子などの人形とかもあった。再び車に乗りホテルに向かう。ここで私は質問する。バクーの町中の戦車のことについてである。どうも暴動が起きているらしいのだ。アゼルバイジャンも独立運動があるのか?夜間は外出禁止らしい。それで昨日空港からホテルまであんなに検問を受けたのだ。ソ連の経済状態についてだとか、この人はいろいろ話してくれた。難しい問題であと20〜30年はかかると言っていた。なぜ日本を勉強したのか聞いてみたがこの人は日本の映画、特に黒澤明の映画が好きらしい。七人の侍も見たことがあるらしい。その他、エンペラーがどうのこうのというあらすじの映画のことも言っていたが我々にはどんな映画だったのかわからない。是非日本に行きたいと言っていた。日名子は英和辞典をあげていた。このガイドさんは本当に良かった。12時にはホテルに到着。

ホテルの1Fのバーでジュースを飲み外に出かける。まずカスピ海をめざす。
ホテルからすぐだ。海岸公園に出てカスピ海があった。潮の匂いがする。でかい湖だ面積は日本と同じくらいなのだ。ここで変なカメラマンがいて写真を撮ってもらった。It is nice Camera!と言っていた。ここから湖に長く突き出ている道を歩き先のカフェに入る。ここでコーヒーを飲んでカスピ海をながめる。〜12:30。
再び海岸公園へ来て歩く。地元のおばさんが寄ってきてチェンジマネーである。ここではこんなおばさんまで声をかけてきた。しばらく歩いていると変な歌が聞えてきた。地元の青年達がカセットで曲を聞いていたので行ってみる。ここでベンチに座り一緒に写真を撮ってカスピ海をながめる。なんかテープはないか?と聞いてきたがあいにく私は何も持っていない。なんか持ってくりゃ良かった。

カスピ海
この向こうはイランです

更に公園を歩き、乙女の望楼を見つけて行ってみる。旧市街の入口のところだ。モンゴルの王が娘に言い寄り、嘆き悲しんだ娘がここからカスピ海に身を投げた塔で12世紀の建物らしい。ここからは蜜を1つ隔てて海岸公園がありカスピ海はその先である。現在はここからカスピ海に身投げすることはまず無理だ。階段をテコテコと登り途中バクーの歴史みたいなものが展示されていてそれを見ながら高さ28mの頂上まで登る。頂上からは旧市街の様子や我々の泊まっているホテルの方の新市街とそれにカスピ海が一望できる。

乙女の望楼
その昔、娘が父親に言い寄られて嘆き悲しみここからカスピ海に身を投げたそうである

腹がへってきた。階段をおりるときはもう足が震える。下に下りてきてパン屋を見つけ、ここでパンを買って食う。我々が食べているとなんだか人が集まってきてこのパン屋は繁盛し始めた。甘いパンというかお菓子みたいなやつだ。そのうちまたパンが運ばれてきた。うまそうなのでまた買う。それを食べていると更にうまそうなパンが登場。この人ただで2つくれた。これも食べる。食べていると地元の人が寄ってきて私のバッジをくれ!と言ってきた。5ドルで買うというが私は断固拒否する。このパン屋の青年にお礼にダンヒルをやろうとするが忙しそうなのでやめた。
キーロフ公園の方へ歩いていくと途中にカフェがあったので入る。ここはカフェというよりレストランでジュースや鳥の肉を食べた。

更に道を進みケーブルカーの入口から5コペイカ払ってケーブルカーに乗る。ここで青年に会いいろいろ話してくれる。日名子と一緒にケーブルカーの前の方へ行き話していた。ケーブルカーでキーロフ公園3時ころ着き、ここで3人で写真を撮る。この青年はガイドをしてくれるらしいのだ。何者だこの人は?

 

キーロフの像のところへ行き町を見渡す。彼は空手をやっていたそうで腕を骨折してしまい、今はバトミントンをやっているらしい。まあそこらにあるのもすべてについてなんだかんだ説明してくれる。写真を送るので住所を聞いておいた。日名子はこの青年が気に入りGパンをレニングラードで手放してしまったことを後悔していた。結婚式の車が2台くらい登ってくるのが見えた。

キーロフの像から帰りは徒歩でおりてくる。また海岸公園を戻り途中鳥がたくさんいたのでさっき買ったパンをあげる。それからレーニンミュージアムに入る。ソ連ではどこの都市に行っても必ずあるのがレーニンミュージアムだ。我々はバクーで初めて入った。中はなかなか立派だ。無料らしい。コートを預けて中に入る。レーニンが苦労して新聞を作っていた様子やレーニンの奥さんの写真。それにT34の戦車、ソ連の各共和国のフラッグもあった。

17時過ぎにはホテルに戻ってきた。この青年は日名子にお土産をやるからルームナンバーと氏名を聞いてバトミントンをやりに行ってしまった。いつくれるのだろう。それにしてもいい青年だった。部屋に戻ってきて日記をひたすら書いていると19時近くになって日名子がやってきた。メシを食いに行きたいらしい。着替えて2Fの食堂へ行った。入ることができた。今まで我々はレストランは拒否され続けていたので嬉しい。ここであのヒゲの人達と会った。彼らもバクーに来ていたのだ。肉料理やらシャンパンを注文した。けっこうたくさん注文したつもりだったがあまり出てこないうちにチャイが出てきて終わってしまった。そのうち生バンドの演奏が始まった。アゼルバイジャンの曲だろうか?日名子はシャンパンすら飲むときに変な顔をして飲んでいる。しょーがないやつだ。これでは物足りないのでチキンを注文する。手で食べて手は水で洗うのだ。洗う水も用意されていた。全部で32ルーブルもした。まあ我々にとってみれば3.2ルーブルだから安いということにしておこう。部屋に戻ってきて20:30には寝てしまった。

 

 
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