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エルミタージュ美術館


<20日目>1989年2月28日(火)

きのうはヴォトカを飲んで久しぶりに酔ったので今日は5:30には起きた。シャワーを浴びて歯をみがいた〜6:15
その後ムルマンスクのオーロラあたりからたまっていた日記を書く。〜8:00

まだ日名子氏は寝ている。朝食が8時からだから日名子氏を起こしたが先に行ってくれ!だと。私は先に出かける。あの1FのEXPRESS TABLEのバイキングだ。日本人の女の人2人発見。男の人達も来るが無視する。8:30には食い終わり部屋に戻ってきたがまだ日名子がいた。がすぐに朝食を食べに行った。〜9:20ごろ帰ってくる。2Fのサービスビューローへ行きサーカスのチケットの予約をしに行くがお釣りが無くて駄目でしかたなくホテルを出る。要塞の方からキーロフ橋を渡りネヴァ川沿いにエルミタージュへ行くことにした。今日は雨が降っているので傘を使う。初めて傘が役にたった。それにしてもこのレニングラードは風の強い所だ。川の近くだからだろうか? 巡洋艦オーロラの前にはまた機関銃をもった兵士が立っていた。

ここを通り過ぎてしばらくしたところで変なロシア人が英語で話しかけてきた。CHANGE MONEY青年である。何でもいいから売ってくれ!いい値で買ってやるといってきた。日名子はこれを待っていたのだ。川沿いの道を歩きながら色々と交渉する。我々は何も持ち合せていないので、物は無いというとまずお金をCHANGEしようということになり、10ルーブルで200円ということになった。日名子は1万円札を出す。彼は非常に喜んで500ルーブルを出した。正規のレートの10倍である。ようするに我々はルーブルで10万円分ももらってしまったのだ。この人計算間違いでもしているんじゃないのかねぇ! この人煙草やGパンが欲しいといっているのでアクセサリーやゴルバチョフTシャツをくれるらしいので17:00にオーロラの前で待ち合わせることにして別れた。1人5万円分のルーブルを手に入れたのでもうルーブルはこれ以上必要ないだろう。ここで時間がかかってしまい、エルミタージュには11時過ぎに到着した。冬は11時からやっているのでまあちょうどいい時間だろう。川じゃない方から入ろうとしたがここは団体客専用入口で断られた。宮殿広場から反対側の川の方へ向かいここから入る。川の向こうにはきのう行ったペトロパブロフスク要塞が見えた。もう雨はやんでいた。コートを預けたらここの人がカメラを持っていけという。ここは写真を撮ってもいいらしいのだ。しかしフラッシュは使ってはいけないらしい。フラッシュを使ってはいけないということは撮るな!ということと同じだ。私は三脚を持っていくことにした。

まず3階へ向かう。11:30見学開始である。日名子はずいぶん喜んでいた。ゴッホの絵があったのだ。3階はその他日本文化とか色々あるのだが入れないようだ。そのうちドーンというすごい音が聞えた。正午を知らせる空砲が撃たれたのだ!2階へおりてきて12:30にひとまず椅子に座り休息する。2階は絵とか作品よりも部屋の内装がすばらしかった。三脚を使って写真を撮る。が、後でおばさんに聞いてみると三脚は使ってはいけないと言われたので、しょうがないのでシャッタースピードを1/30にして撮ることにした。2階はフランスやドイツの作品が多かった。あのフランス革命の絵もあった。ずいぶん小さな絵だった。

13時には1階におりてくる。古代エジプトの遺跡があって遺跡を写生している人がいた。ミイラもあった。13:25再び休憩する。彫刻がずーっとあって、13:45には出口に来てしまった。私は中央アジアの遺跡が見たいので、また2Fへいく。中央アジアやコーカサスは1Fなのだがどうも2Fからじゃないと行かれないらしい。まずは黒海の上の方のウクライナ地方の古代ロシアの遺跡があった。それからアルメニアやアゼルバイジャンやグルジアといったコーカサス地方のものがあった。中央アジアの部屋に入ろうとしたが入れないらしい。ショックである。しかたないので出てきた。14:30

1つの作品を1分ずつ見ていくと全部見るのに5年かかるらしい。

外へ出てみると天気が良くなっている。これは写真を撮らねばならない。宮殿広場に行き、エルミタージュや旧参謀本部の写真をバシバシ撮る。公園で1服したらこのダンヒルがメンソールでショック!15時過ぎに今度は海軍省からイサク聖堂へ行きデカブリスト広場に出る。CHANGE MONEYやスビニールの声がやたらとかかる。近くに団体客がいるせいだ。

旧参謀本部

アレクサンドルの円柱
高さ50mの大理石1枚岩

イサク聖堂
とにかくでかい。バスが小さく見える

青銅の騎士像で写真を撮って川沿いに宮殿橋の方へ向かう。16時にエルミタージュのコート預けの場所で日名子氏と待ち合わせていたが15:50にはコート置き場へ行く。日名子氏がいた。30分前には来ていたそうだ。日名子と公園でダンヒルを吸ってそこらの子供と写真を撮ってガムをあげ、また宮殿広場からエルミタージュの写真を撮る。

デカブリスト広場の青銅の騎士像

さっきの少年が後をついてくる。我々はネフスキー通りを歩く。もう16:30だ。17時にはオーロラへ行かねばならない。ネフスキー通りを歩きカザン聖堂のところでまたCHANGE MONEYである。ここからメトロのネフスキープロスペクトに入ろうとするが閉められてしまい入れない。後をついてくる少年に別の入口を聞いて入ることができた。ここからマヤコフスカヤを経由してレーニナの駅まで来た。この少年はミーシャといってなんだか道案内をしてくれる。ホテルの前まで来て私はあのメンソールのダンヒルをあげたらボールペンをよこして去っていった。もう17時になっていたので日名子に先に行ってもらうことにして私は日名子のGパンを取りに行き、帰りにベリョースカでマールボロとウィンストンをワンカートンずつ買ってオーロラへ向かう。日名子がいた。どうもあの青年と会えなかったらしい。私はむしろ会えない方が良かったと思いすぐにホテルに帰る。18:30からEXPRESS TABLEで夕食である。3.5ルーブルでバイキング方式でたーんと食べる。日名子がめずらしくおかわりをしていた。私はビーフストロガノフを食べた。帰りに3Fのコーヒーショップに寄ってケーキやソークやらを買ってくる。ここではオーストリアの女性科学者と会った。今日は部屋にいることにして手紙を書いた。その後また日名子がジュースを買いにいった。22時過ぎには寝た。


ホテルからの景色。夕焼け
この日の夜はマールイ劇場にてベルディのオペラ「ラ・トラビアータ」(椿姫)をみました。

 
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