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レニングラード到着


<19日目>1989年2月27日(月)

5:00起床。起きてみるともうアレクセイおじさんは起きていた。辞書やらガイドブックが下に落ちていたのでのせておいてくれていたらしい。どうも日名子がみんなおとしたらしい。デッキに煙草を吸いに行ってみるが窓は凍ってないし、そんなに寒くない。5:40ペトロザヴォーツクに停車。おじさんが外は寒いとでも言っていたのかよく分からないが私はそんなに寒くない。歯をみがいてまた7時ころからみんなと一緒に寝てしまった。

8:30には車掌さんがチャイを持ってきてくれてガリーナさんと一緒に起きる。パンをご馳走になった。アレクセイさんが日本人は米と魚を食べるとか日本には北海道、本州、四国、九州があって本州と九州の間にはトンネルがあるとか日本のことを良く知っていた。さすが元軍人。アレクセイとガリーナさんは2人でよくしゃべっていた。というよりアレクセイがしゃべってガリーナさんは聞いていた。日名子が洗面所へ行っている間に折り紙をやり始めて一生懸命に鶴を折っている。私も紙をもらいヤッコさんやごみ箱をおる。同じ車両の小さい女の子に鶴の折り方を教えていた。日名子とこの子で写真を撮ったらこの子はアドレスを持ってきた。お母さんが書いてくれたのだろう。9:40には布団の整理をしてみんなで写真を撮ろう!というが拒否される。が、強引に撮ってしまう。その後私はアレクセイさんに、T34/76、T34/85と書いて見せたが、85mmじゃなくて86.2mmだという。そういえばそんなのがあったか!このおじさんは、и.с−122という戦車で満州へ行ったらしい。ガリーナさんは編物をやっている。

12:30到着予定であったが13時近くなってレニングラード到着である。雪が無い。寒くない。いや暖かい。コートがいらないくらいだ。息は白くならない。東京より暖かいのではないか? ガリーナさんは先におりてしまいダスビダーニア。グッドラックである。アレクセイさんは握手をしてくれたがすごい握力である。手が痛い。ホームにおりると変な女の人が来てバウチャーを見せろとかホテルまで連れて行ってやるとか言ってきたが我々はメトロで行くと言って断った。トランスファーをつけていないのに駅まで来てしまったらしい。

メトロまでは地下道で行けた。ここのメトロは電車のドアの所だけ開いていて部屋みたいなホームだ。ちょっと間違えて変なホームへ行ってしまったが、無事レニングラードホテルに到着。1Fのレセプションへ行ってバウチャーを見せたが2Fのサービスビューローのインディヴィジュアルコーナーへいけと言われた。荷物は運んでくれるし、ここのホテルはサービスがいい。13:30にはチェックインする。ここのサービスビューローは劇場の案内もあった。あとで予約しなければ。。。

日名子が1Fへ鍵を取りに行ってしまったが、私とこの荷物運びのおっちゃんとで先に4Fに来てしまう。鍵は4Fでもらうらしい。日名子は行方不明になってしまった。13:45には部屋に入る。窓がやたらとでかい。風呂の鏡もでかい。窓からはネヴァ川が見えて景色が非常によい。窓を閉めていると暑いくらいなので開ける。そのうち日名子も来た。日名子は日本へ電話をしたいらしく私もチケットを買いたいので、また2Fのサービスビューローへ行く。今日はオペラとサーカスをやるらしい。オペラのチケットを買おうとするが1枚だと売ってくれないらしい。無理やり日名子にも買わせた。2人で5600円である。安い!チケットは16時〜18:30の間に取りに来いとのこと。19時にはバスが出るらしい。日名子氏は電話を待つために部屋に残るらしいが私は外へ出かけることにした。15:30にはホテルを出る。暖かいので帽子とコートを置いて、東京にいるときと同じスタイルで出かけた。ホテルを出て橋を渡って巡洋艦オーロラ号の前まで来るとここには機関銃を持った兵士がいた。ここからキーロフ橋の方へ向かい、デカブリスト広場へ行ってネフスキー大通りを通ってメトロで帰ってこようと思ったが、途中ペトロパブロフスク要塞に入ることにした。ここまで来るのにずいぶん時間がかかってしまったので今日はこの要塞を見て帰ることにした。けっこう団体客みたいな人達がいて混んでいた。要塞の中央に高い塔があったので行ってみる。どうにか写真は撮れた。それにしても高い。外に出てネヴァ川のところに出てくる。でかい川だ。そこから再び要塞の中に入ってさっきの塔のあるペトロパブロフスキー聖堂に入ることにした。この聖堂は20年もかかって作られたらしい。中は立派だった。が半分改装中だったので残念であった。中には造幣局もあったがチケットがないので入れなかったが、16:45には出てきてレボリューツィイ広場からまた来た道を引き返す。途中ピョートル1世小屋というのがあったが閉まっていた。帰りに少々雨が降ってきたが傘をさすほどでもない。

ペトロパブロフスク要塞

ホテルに戻ってきて2Fのサービスビューローに行きチケットをもらって部屋に帰って来るが日名子が中で寝ているのでなかなか入れなかった。マールイ劇場へは19時のバスで行くのでその前になんか飲もうということになり、18時に部屋を出て1Fのハイネケンのバーへ行こうとするが私は隣のベリョースカへ入ってしまう。バッジを見せてもらったがあまりいいものはなかった。1つだけ買った。日名子がコークを買っていた。1本100円。コークを飲んでしまったのでバーへ行くのはやめた。私は煙草をワンカートン買おうとするが1万円札だとおつりがないので売ってくれない。何だかんだしているうちに18:50になったので2Fのサービスビューローへ行く。運転手のおっちゃんがいて一緒に外へ行く。バスのナンバーは0335。我々しかいなかったがすごいバスだ。後から団体客が入って来た。イギリスの人達だ。橋を渡ってネフスキー通りの近くにマールイ劇場があった。19:15には席に着く。1階の前から11列目で最高の席である。19:30には開演した。第1幕を見て日名子はオペラが好きになったらしい。第1幕では誰でも知っているあの有名なメロディーが出てきた。終わりの方でフックトオンオペラで聞いたことのある部分もあった。前の席のカップルが非常に不釣合いなので私は日本語でさんざん文句を言う。言葉が通じないということはすばらしい。

第4幕まであって、終わったのは22:15ごろだった。第2幕が終わったところで私は煙草が吸いたい!と通路の女の人に告げると男の人(コート係)が4Fのトイレのところまで連れて行ってくれた。第3幕が終わったときは日名子と一緒に喫煙所に行った。

22:45に部屋に戻ってきてヴォトカ&コークを飲む。日名子はヴォトカを少しなめてやめてしまった。私はヴォトカを半分くらい飲みすぐに寝た。
<この日見たオペラは、ヴェルディのトラビアータ(椿姫)でした>

 

 
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