←前のページへ トップページ 次のページへ→
列車の旅


<18日目>1989年2月26日(日)

6:20起床。きのうベリョースカで買ったカニヤックを飲んで寝たので早く目が覚めた。なにしろ目覚まし時計が無くなってしまったので早く起きるには酒を飲むしかない。それにモーニングコールという手もある。きのうモーニングコールを6:30に頼んでおいたが私の方が先に起きてしまった。今日はちょうどこのロシア大作戦の中間点の18日目だ。18日目といえば去年はちょうどカシュガルからヤルカンドへ行った日だ。一昨年はもう中国を1周しマカオへ行っていたころだ。今回は何だか日本にいるのと同じようなスピードで時間が経っていく。
〜7時まで荷物整理をして今日は早めに朝食を食べに行く。7:30には入る。一番乗りである。今日は日名子も食べるペースが速い。私は欲張りすぎて残してしまう。メシに変なものををかけたやつが非常にうまかった。部屋に帰ってきて少々時間があったので日名子と卒業、就職の話をする。日名子は卒業のことを考えると寂しいらしい。。。。

9時になったのでインツーリストへ行って列車のチケットをもらわねばならない。きのうのおねえさんがいてチケットとバウチャーをくれた。列車はNo.49で10:10発。翌日昼の12:30にはレニングラードに到着する。26時間ぐらいだからあっという間に着いてしまうだろう。

部屋に戻って荷物をもって下に来る。9:40にはトランスファーのタクシーが来るらしい。ここから駅までは歩いても1分ぐらいなのにタクシーが来るらしいのだ。9:45にはタクシーが来る。乗ろうとするがこの運転手とインツーリストのおねえさんはどうもけんかをしているようだ。タクシーの運転手が怒っているのだろう。ほんとに1分もかからずにタクシーはムルマンスクの駅に到着する。すぐにホームに行き列車が止まっていたので車掌さんに聞くとこの列車でいいらしい。10時前には乗り込む。6号車である。また23、24の席だ。私はまた上に席をとる。同じコンパートメントになったのがちょっと難そうなおじさんと、もう一人は少々若いおばさんである。この男の人は話によると元軍人でミンスクに住んでいるらしい。満州やベルリンにも行ったことがあるらしく胸には勲章らしきものがベタベタとついている。私のバッジは負けた。戦車に乗っていたらしい。我々は22才ですというとこのおじさんは22才のときは戦車でベルリンへ行っていたという。女の人はムルマンスクの人で仕事で3日間レニングラードへ行くらしい。おじさんはアレクセイさん。女の人はガリーナさんという名だ。よく同じ名前の人が出てくる。12:30から寝てしまい、16時ごろ起きる。17:45チュパ停車。外へ出ようとするが駄目みたいだ。この女車掌さんはなかなかおもしろい人だ。ドアを閉めた後外からドアをたたいてきたのであけてみたがすぐに撃退してしまった。どうも酔っ払いのようだ。ロシアの女の人は強い!
その後夕食をご馳走になるアレクセイおじさんはパンとタマゴをくれた。ガリーナさんはパンの上にハムをのせたやつだ。私はきのうベリョースカで買ったスナックと葉巻をあげた。ガリーナさんはエンジニアでレニングラードの大学で勉強していたとのこと。F=maや、ランダウやマクスウェルを知っている。電気物理学を勉強していたとのこと。我々は胸を張って物理を勉強しているなどと言えなくなってしまった。夫がコンピュータを作っているらしい。ロシアの女の人は大変だ。家の仕事もあるし自分自身で職をもって働いているのだ。今回の旅行で費用がいくらかかったか聞かれたので教えてあげると、どうやってお金を貯めたかと聞いてきたので、日名子は自分で働いて稼いだ。と言ったので私は「彼は昼間寝ているbad student!」と言ったら笑っていた。そうそうこのガリーナさんは英語が少々通じるのだ。どうして飛行機を使わずに列車でいくのかと聞いてみたら、どうやら列車だと無料で行けるらしい。州がお金を払ってくれるのだ。飛行機だと自分のお金で支払わねばならないらしい。

夜20時になって食堂車へ行った。若いおねえさんがウェイトレスだ。この人も少し英語が話せる。英語で言え!と言われたが、ロシア語でビーフストロガノフとボルシチと注文したら笑っていた。何がおかしいんじゃい!食べ終わるとこの女の人は急に近寄ってきてDo you have US dollers?と来た。私は5ドル持っていたので10ルーブルとチェンジする。日名子は電卓を50ルーブルで売りたかったらしいが私が勝手に25ルーブルに決めてしまった。日名子はショック! その他時計だのなんだのと言ってきたがなかなかおもしろかった。このウェイトレスもよろしい。帰ってきて21時過ぎには寝てしまった。

 

 
←前のページへ トップページ 次のページへ→